2013年12月11日水曜日

#320 それぞれの人生

明るい朝を迎える。快晴とは言い難いが、日がさしているだけで嬉しくなる。いつものように準備をして、いつものように出勤する。

不足していた、午後からの打合せ用資料を準備したり、読み込んでいたりしたら、ミーティングの時間になってしまった。来年度のこと、予算のこと、事業の進め方のことなどなど、盛りだくさん過ぎて出発の時間が来てしまった。結論が出たものもあれば、そうでないものも。今年も終わりを迎えようとしているが、最初のミーティングに比べたら、メンバー全員が積極的に発言するようになったのはうれしい限り。この雰囲気が日常にもっと拡散してほしいところだ。

S技術次長とI主事とともに、南三陸へ向かう。S技術次長から「おやじさんはなにをやっていたの?」と聞かれ、従事していた仕事の説明をした。今思えば、自分はかなり亡父の影響を受けているようだ。というよりも、亡父の手のひらの上で転がされてただけかもしれないが...

まずは歌津の施工現場へ。既にお昼を回ってしまったが、現場事務所で代理人のS氏に声を掛ける。昨日の強風の被害は殆どなかったようで、胸をなでおろす。しかし、潮位の状況が最適だった日だったのに、予定していた作業を行うことが出来なかった。残された時間は少なくなってきた。
少し遅くなったが、昼食を摂りに最近開店した「飛上(とびうえ)」という中華料理屋に立ち寄る。
花輪
店内はお客さんで賑わっており、ラーメンはまるき以外で食べないというポリシーを貫き、五目チャーハンを注文する。しかし、様子がおかしい。やはり、出てきたのは五目あんかけラーメンだった...
野菜も食べられたのでよしとして、南三陸町役場へ向かう。

建設課のA係長、世田谷区から派遣のS上席技術主幹、役場OBのG上席主幹と打合せ。IとHの両現場の設計が佳境に入ってきたので、細部の打合せを行う。こちらの願う結果が得られる反面、そうでないこともある。もちろん、それも想定の範囲内だが…
S上席技術主幹と少し立ち話をする。Sという姓は宮城ではポピュラーであり、溶け込みやすいですよね、そして自分の姓も大島ではそこそこ多いので、それもまたメリットですと伝える。

引き続き、H施工予定箇所にかかる関係者宅に説明に伺う。現場から近い仮設住宅は世帯数が多く、軒先には漁具が置かれている家が多かった。お相手は説明会でよくお会いする方で、S技術次長の高校の後輩の方だ。やはり戸倉方面はS技術次長同席の方が話が早い。
部屋の片隅に置かれた仏壇には、3月11日と刻まれた位牌が置かれていた。離席した直後、同じ境遇にあるS技術次長が少し言葉を交わしていた。今日は月命日。もうあの日から2年と9か月が経った。

近くにある別の仮設住宅に移動し、同様に関係者宅で説明を行う。明日から数日間、日本海側にある都市のショッピングセンターで物産を販売されるそうだ。軽バスに満載された商品とともに旅に出る。以前は大きくビジネスを営まれていたそうで、このやり方が最善かどうかはわからないが、ご自身の染みこんだ手段がもっともふさわしいのだろう。
高齢の身に遠くまでの行商、思わず「手伝いましょうか?」と喉まで声が出かかったが、グッと飲み込んだ。今の自分の立場を考えなければならない。
暗くなった45号線を北に向かう。車内では、職場では話さないようないろいろな話で盛り上がる。車載の温度計は4℃。

帰庁後、報告書をまとめたり、今後の進め方に頭を悩ませる。既に自分一人だけになっており、戸締りをして退庁する。風は強くはないが、気温はめっきり下がっていた。
ベースキャンプに戻り、コンビニで買い求めた夕食を食べる。少し物足りないし、栄養的に偏っている感が凄まじかったので、気仙沼の母にいただいたリンゴを食べる。

震災によって、自分を含め、多くの人々の人生が変わった。
2年9か月。1日1日「時」が過ぎていく中で、それぞれが、それぞれの新たな人生を歩んでいるんだな、と感じた。