2013年12月6日金曜日

#315 会いたかった人たちⅡ

久しぶりに実家で朝食を摂り、近鉄に乗って津に向かう。駅までの道のりに大きな変化はなかった。

県庁に向かい、まずは都市政策課のKさんと少し打合せをする。自分の気仙沼への派遣に興味を持ってくださり、うれしい限り。都市計画の分野でもいろいろ動きがあるようで、これからも情報交換しようということに。

引き続き派遣元の所属に向かい、来年度に関するヒアリングが行われた。たくさんの方が、自分の願いをかなえるために動いてくださったことがわかった。本当にありがたいし、こうやってバックアップしていただけるおかげで、自分は仕事が出来ている。

丁度昼になり、階段を下りていたら環境部署時代にお世話になった企画課のM氏を見かけ、声を掛ける。自分の知っている昼食に出かけるIT部署のM氏、昨日連絡をくれた防災部署のN君と昼食に出かける。県政だよりみえの地デジ移行などIT系の話題や今の三重のことをいろいろ話をする。こうやって前向きな人たちが県政に携わっている限り、三重は安心だ。

先日来仙してくださった方々にごあいさつをし、組合活動に長く従事しているY先輩に労働環境に問題はないなどの現状を報告、よく被災地を訪ねてくれるN先輩と少し話をした。防潮堤に関して、トモダチ作戦との関連など、思いがけない発想をいただく。確かに、ごもっとも...。「何年防災におったんさ(笑)」とむしろ説教された。こうやって、相談に対して適切なレスポンスをくださる諸先輩が三重にはたくさんいる。

すると、「水上っ!」と声がかかる。以前石巻に派遣されていた、熊野在席のM先輩。先日ミカンをいただいたお礼を用意していたところ、思いがけずに直接手渡しできた。

防災部署で元上司などに現状報告をしていると、別班の方から「年度内に派遣状況の報告をしてほしい」と依頼される。時期は未定だが、年明けになりそうだ。被災地でわかっている課題や、これから三重で取り組むべきことなど、伝えたいことが山ほどあるから、いい機会をいただけそうな感じで感謝。他にも、四日市港管理組合のK氏、土木部署のY氏など、お世話になったたくさんの方々に会うことが出来た。
とある部屋にあったホヤぼーやと、懐かしい防災まちづくり大賞の賞状
県庁を後にし津駅方面に向かっていると熊野での自分の後任で仲良くしてくれているS君に声を掛けられた。熊野のメンバーが津に来ているということは聞いていたが、まさか会えるとは思わなかった。10月に自分のせいで窮地に追い込んでしまったことを深く謝罪し、熊野の今について少し話をした。「熊野最高だね!」という言葉を聞いて、うれしくなった。

引き続き、アスト津にある「みえ災害ボランティア支援センター」に少し顔を出す。明日のイベントに備え、たくさんのメンバーが詰めかけており、偶然にも、以前からお世話になっているYセンター長やIさん、Yさんなど懐かしい顔に出会う。
Yセンター長に自分の近況などを伝え、FEMAの話など踏まえた、被災地での復旧、復興活動にかかる望ましいあり方など少し話をする。「もっと被災地での経験をフィードバックしないとね。」というセンター長の言葉が重い。その役割は自分も担っているはずだ。

夜は、ここ数年お世話になりっぱなしの出納部署のH先輩、国体部署のK先輩、文化部署で生年月日が同じのI君と懇親となる。笑いの絶えない会となった。三重の施設整備でも不調が続いているという話がでて、少し気が重くなる。しかし、H先輩から「ぶらりのプラットフォームを被災地でも使えないか?」と発言がある。常に前向きの姿勢は参考になる。
店側の時間的制約により、早々と切り上げることに。

引き続きH先輩と、四日市にある静かな1UPという店に行く。駅前は、いつの間にか驚くほど喧騒と混沌にまみれていた。いったいここはどこなんだろう...
後、悪友Tと合流し祇園Σに向かう。年末の予定や今後のことなどいろいろ話をする。
今日もたくさんの会いたかった人たちに会うことが出来た。時間はかかるだろうが、宮城でも同様の関係を気づいていければと思った。