2014年6月8日日曜日

#499 KESEN Explorer+ -足りない活字のためのことば+後藤新平-

9時起きの予定のはず、しかし2度寝をしてしまう。時計を見ると、もう危険な時間帯になってた。急ぎ準備をして、1号機で住田へ向かう。雨が降ったりやんだり、まさに梅雨の天気。

45号線、340号線を通り、住田の中心部、世田米へ。場所がはっきりわかっていなかったが、看板が出ていたので迷うことなく会場へ。

Sumita Clutchとなずけられた、蔵を改造したギャラリーが会場となっている。世田米は気仙川沿いに蔵のある街並みが築かれており、こういった自由に活用できる場があることも、その魅力アップに役に立っている。
中に入ると、杣遊会でおなじみのM氏ご夫妻が手招きしてくださった。2階にで開催されている「足りない活字のためのことば展」を観ることに。

釜石にあった藤澤印刷所の活字のうち、廃棄処分されなかったものを活用し、アーティストが詩として表現した。また、いくつかの詩はカップリングする絵画と合わせて展示されていた。
とてもいい雰囲気
活版印刷機
印刷所で製作されていた品々
谷川俊太郎作
会場の雰囲気と相まってか、眺めているうちにグサグサ突き刺さってきた。今まで詩というものにあまり興味を示さなかったが、なにか訴えられているような気がした。

そして、三重出身で今は釜石で業務を行っている建築家のM氏と紹介してもらう。気仙沼にいても、たまに三重から来ている人に出会う。知っている範囲で、山田、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸、石巻、塩釜、仙台、福島で、三重からやってきた人が働いている。いつかは県人会を開く必要がありそうな...

1階では、活版でカードを作ることが出来、そのほか絵画、北海道の木霊氏や山形の栗田氏のチェーンソーアートの展示が行われていた。
活字
木霊氏の作品
栗田氏の作品
コーヒーをいただき、杣遊会のM氏と少しねまる。さらっと芸術作品の展示が出来てしまう住田の奥深さに感心する。

引き続き、397号線で種山を抜けて水沢へ。何回か通過したことはあるが、とどまったのは3年前に水沢江刺駅で乗り降りしただけ。どういった街なのか、どこに中心街があるのかよく知らなかった。ひとまず市役所を目指す。

目的地に近づいたころ、Zプラザアテルイという観光物産センターを見つける。「かぐや」という食堂に入り、昼食を摂る。
ひっつみ的な「はっと」
雨も小降りだったので、歩いて後藤新平記念館に向かう。辞世の言葉や関東大震災後の帝都復興など、以前からとても尊敬している人物だった。水沢に記念館があることは知っていたが、ようやくたどり着くことが出来た。
館内は他に2名の見学者がおり、館長と懇談していた。入場券を買い求め、撮影の許可を得てから中を拝見することに。

観覧中、嫌な振動が発生し、スマホが鳴動する。久々に眺めの地震が発生した。冷静にガラスから遠ざかる。
青年期はその才覚を見初められ、役所勤務を経て医師への道を歩むことになる。その後、国の役人となり、今でいうところの厚生労働省で勤務を経て、台湾総督府や満鉄など外地での活躍、内務大臣や鉄道省総裁として先を見据えた企画立案、実行を行ってきた。また晩年は東京市長や復興院総裁などを経験し、現在の東京の基礎を築いている。

あまりにも先が見えるために、周りから突拍子もない人物と思われることもあったようだが、人材育成にも多大な力を入れ、拓殖大学の黎明期にも関わっており、日本にボーイスカウトが根付いたのも氏の功績が大きい。
そして、「旧慣尊重」を旨としており、ラジカルな変革のみを追求するのではなく、今存在しているものを大切にするという気持ちも持ち合わせている。
また、有名な言葉として「自治三訣(けつ)」がある。
自分の仕事のことを、改めて考え直す機会になった。受付に置かれていた書籍を何冊か買い求める。時間があるとき(ないかもしれないが...)、読んでみよう。

記念館と隣接して、後藤伯記念公民館がある。読売新聞の創設者である正力松太郎が、後藤新平に出資を仰ぎ、後藤没後にその返済として設置したものである。
再び街を歩き、いくつか土産などを買い求めて、近隣にある水沢公園へ。
駒形神社
ボーイスカウトの制服に身を包む像
一通り水沢を堪能し、343号線、248号線を通って気仙沼へと戻る。
まるきの潮見そばが食べたくなったので、そのまま直行する。
岩井崎の塩を使ったこのラーメンは、化学調味料を使わずに健康を第一に考えた商品であることを、ブログで知った。あっさりなのに、濃厚。ますます好きになってしまった。

帰宅してから、片付けや洗濯など。この陰鬱な気候がしばらく続くのかと思うと、やるせない。