2013年10月26日土曜日

#274 チーム三陸

眠れずにパソコンをいじっていたら、スマホが激しく鳴動する。わずかの時間差で長く、ゆっくりとした揺れがベースキャンプを襲う。なまず速報でマグニチュードなどを確認し、急いで着替える。しばらくして、福島県に津波注意報が発表される。万が一を考えても、建物の高さから避難をしなくても安全と考え、留まることに。しかし、地震の規模が大きいと情報配信はどうしても遅れる。やむを得ないのだが...

NHKの天カメが、到達予想時刻の海辺を映していたが、干潮ということもあるのか、岸壁に津波があがるようなことはなかった。しばらくしたら、こたつに入ったまま眠ってしまった。
後でアウターライズ型の地震と知る。油断できない...

9時過ぎに起床し、朝食を摂って着替えを済ませかけのタイミングでドアがノックされる。T氏とともに赤のランエボで雨のやまない気仙沼を後にする。登米、涌谷を抜け大崎市古川へ。内陸のフラットな道はやや単調だが、途中現れる街区にシケインが介在しており油断できない。

ラストワンマイルで若干迷いつつ、東部振興事務所のA技術主幹宅に到着する。既にメンバーは全員そろっていた。今日はA技術主幹とAさんが、北海道・東北ブロックの治山研究発表会で最優秀賞を受賞した祝賀と、派遣職員を労っていただく「芋煮会」が開催される。
県庁のW総括、K課長夫妻、M技査、東部のお二人に高知県から派遣のO氏、大河原のS技師、気仙沼からT氏と自分、面識のある方も見えるし、初対面の方も。
芋煮と言えば山形を想起するが、実は宮城でも盛ん。宮城は味噌仕立てで豚肉、山形は醤油仕立てで牛肉と違いがある。パッと見は豚汁だが、れっきとした「芋煮」である。

T氏とじゃんけんした結果、自分はアルコールを控えることに。一人ファンタグレープで盛り上がることに。そういえば、高知のO氏も下戸だった。
BBQにサンマ、炊き込みご飯とエンドレスに何かを食べている。しかし、どれも美味しい。宮城は三重と「うまし国」論争で盛り上がったこともあったが、本当に「美味し国」である。
先日紀宝の師匠からいただいたみかんのおすそ分けをする。早生なのにとてもあまいと大絶賛を受ける。M技査は家族分をと、カバンにミカンを忍ばせる。

いつの間にか雨も上がり、久しぶりの太陽が顔をのぞかせていた。少し寒くなってきたので、後片付けを済ませて中にお邪魔することに。引き続き、たくさんの話で盛り上げる。
テレビで、気仙沼や南三陸、大船渡の映像が流れる。T氏とともに、あそこだここだと盛り上がる。K課長が「派遣職員に、宮城県民が負けている!」とコメント。少しニンマリする。

2011年3月11日の話になった。S技師は女川で一度高台に避難したが、より高く避難することで難を逃れ、そして公用車が流されてしまうという事態に遭遇した。その後3日ほど、避難所運営に携わられた。そしてA技術主幹は亘理の現場で適切に全員を避難させたと仰っていた。そして、3月9日以降、ラジオを携帯しており、情報収集を続けたとのこと。
津波は時間を問わずやってくる。勤務時間中しかり。三重の場合、もっと状況は深刻で、到達時間が圧倒的に短いので、一瞬の迷いが生死を分けることになる。マグニチュードや津波注警報と言った情報を待っていたら、おそらく間に合わない。今朝の教訓も踏まえ、戻ったらうまく伝えていきたい...

辺りもすっかり暗くなり、時計は19時を回っていた。散会するとともに、O氏とA技師を石巻まで送り届けることに。

A技師は富山出身なので、兵庫、高知、三重というすごいユニットが出来上がる。車内では防潮堤の議論になる。それぞれが思いを語ることに。みんなの本気度が伝わってきた。
車内にいたメンバーを勝手に「チーム三陸」と名付ける。気仙沼から東松島まで(時々大船渡と高田)をカバーする、濃厚なメンツ。1か月以内の再開を誓って別れる。
ランエボで暗くなった45号線を北上し、T氏と車内で諸々話をする。最近親密度が高まってきている。

帰宅後、届けられた東海新報を読む。防潮堤に関する大船渡市末崎での取組は、とても興味深く、気仙沼との違いを感じる。少し調べてみよう...