2013年10月14日月曜日

#262 残された時間

8時に起床する目論見は大きく外れ、結局10時に起床した。今日のタイトなスケジュールを考えると、既に危険な時間帯に入っていた。身支度を整え、ひとまず交換したタイヤを倉庫に放り込み、家族とともに出発する。

お世話になっているディーラーで自動車保険の更新手続きを済ませ、姉の同級生の店でしぐれを買い求め、兄の家に寄る。甥が「話したいこといっぱいあるのにな~」とポツリ。次回帰郷の際はもう少し時間を取ろう...
四日市名物トンテキの店、来来憲の鈴鹿自由が丘店に立ち寄る。持ち帰れるようなお土産をと訊ねたが、残念ながら宮城は遠すぎるようだ。

亀山駅の近くにコスモス畑があったが、もっとすごいところがあるので見ないように伝える。そして、三寺(みつでら)へ。休耕田がコスモスで埋め尽くされていた。
引き続き、芸濃のN君宅にスダットレスタイヤを預け、伊勢道に乗って安濃SAで遅い昼食。伊勢うどんと伊勢しょうゆソフトを食べる。
美味
ややスパイシー
行きと帰りが同じルートではつまらないので、高速を南下し一路紀伊長島へ。道の駅マンボウに立ち寄り、お土産を大量に買い込む。
260号線を西へと向かい、目的地の大紀町錦へ。まずは全貌を眺められる塩浜山村広場へ。あいにく雨が当たってきたが、絶景を眺めることが出来た。
太平洋側は波高し
錦の街並み
姉の希望でトロピカルガーデンに向かうが、時間も時間だったのでキャンセル。街をゆっくりと走る。
 興味がどうしても防潮堤に行ってしまう。しかし、天端高さがTP+3.6mだったことに少し驚く。おそらく伊勢湾台風後に整備されたタイプなのだと思うが、想像以上に低かった。
今日の目的地である第2錦タワーへ。真新しいタワーは、初代より大幅に高くなっている。階段が比較的緩やかに作られており、足の悪い母でも登頂することが可能だった。
側面には海抜表示
タワー前の知事直筆の石碑
壁面に取り付けられた昭和東南海地震の浸水深
台風時の集会室
津波用の集会室は高い所に
最上階の床面高さ
東側
南側
高台やタワーの整備など、津波避難対策が徹底している錦だが、やはりこのタイトすぎる漁村集落はいざという時に危険だと感じてしまう。街を作りなおすことは非常に困難だが、残された時間はあまりないものの、南海トラフの地震発生前にやっておきたいことはまだあるように感じた。
入口に地元の方がみえ、母と少し立ち話をしていた。この施設にはトイレがないので、簡易トイレが必須だとのことだった。

帰路につこうとすると、タワーの頂上付近が緑色に輝いていた。同様の灯が役場支所にもあった。何らかの高さを表示していると思われるが、調べることが出来なかった。またの機会にしよう...
紀勢大内山ICから紀勢道に乗ると、芸濃~四日市で25kmの渋滞...3連休の最終日だから仕方ないか...津ICで下り、こちらも若干混雑している23号線で戻る。

自宅で夕食を摂り、少し遅い時間になったが、鈴鹿の友人「カントク」宅を訪問する。いつも笑えるアイテムを送ってくれるので、こちらも対抗してネタ的なお土産をお渡しする。

短い帰郷が終わろうとしていた。知人友人に会っていると、もう少し長く三重に居たいな、と思った。