2013年11月20日水曜日

#299 dark side

週末よりは気温が下がったものの、風もなく穏やか。三陸新報の論説を読むと、新しい気仙沼商工会議所の会頭について書かれていた。なるほど、こういうことか...ミッシングリンクが繋がった。

今年度第1回目の合同安全パトロールに向かうため、T氏と水産漁港部の体のおっきなS技査と3人で南三陸町へ向かう。といっても、内容は月例のパトロールと変わることはない。南三陸チームは時々顔を合わせるメンバーだが、気仙沼チームは石巻労基署長や気仙沼土木所長が参加している。

道路事情がよくなく、シビアな時間に役場に到着する。ブリーフィングを終えてから、まずは戸倉にある道路改良の現場へ向かう。この現場を訪問するのは今日で3回目となる。
続いて、志津川にある防集の現場に向かう。施工規模は3haくらい。現在は伐開をほぼ終え、一部の土砂搬出を行っていた。
伐開現場の匂いが懐かしい
最近は重機もハイブリッド
住田に出入りするようになってから、チェーンソーでの作業について関心が高まっている。住田の林業従事者は、現場での安全を十分配慮し、チェーンソー作業用のズボンをはき、専用のブーツを身に着けている。そういえば、事業体で働くS君に「まさか、ヤッケに地下足袋とかで木を切ったりしてないですよね?」と言われた。今回も指摘をしておく。

昼食は歌津の竜巳やで済ませ、泊崎半島にある漁港復旧の現場に向かう。車内でS技査と土の話になる。防集事業などで余剰となる土を利用してほしいという呼びかけがあったそう。自分にとっては渡りに船。情報収集を怠らないようにしよう。気仙沼は不足気味、南三陸は余剰あり。なかなか難しい...

漁港の復旧現場では、物揚場や船揚場の復旧が進められていた。S技査から、最近は10tダンプの調達が困難を極めていると教えられる。そのせいで、現場内から建設廃棄物の排出が困難となり、資材に余裕があっても現場に搬入できないという問題が発生しているようだ。一難去ってまた一難...
引き続き、本吉にある市立の文化会館「はまなすの館」でミーティングを行う。気仙沼、南三陸それぞれの結果報告に続いて、労基署長から情報提供があった。被災地では雇用側の一方的な都合による労災隠しなど、建設作業従事者を冷遇するような事案が発生しており、そのような事態にならないよう注視してほしいと依頼があった。また、なぜそのような事態になるのか、原因も把握してほしいとのことだった。
先日もグループ補助金の不正受給がニュースになった。こういったネガティブな情報が明るみになると、心が折れるだけでなく、被災地外の人に呆れられてしまうのではないかと危惧する。

帰庁後、電話やメールの処理を行う。最近は業務がかなりアクティブになってきた。

業務終了後、まるきへ向かう。今日は息子さんといろいろ話をした。この街で生きていく上でのジレンマなどを聞く。最近は若い人たちが活発に活動し魅力的に見える街にも、いろいろな課題があることを改めて認識した。

帰宅後にFBを眺めていると、学生時代に地理でフィールドワークを教えてくれた目崎先生が、興味深い投稿をされていた。大日本府県全図府県廃置法律案付図と呼ばれる地図で、1903(明治36)年に国会に提出される予定だった府県廃置法律案に付属していたものである。
以前から岩手県に突出するような形になっている気仙沼市に違和感を覚えていたが、この地図では岩手県南部と宮城県が一体となり、仙臺縣として再編する絵が描かれていた。交通機関などの発達に伴い、県の区割りを見直すことを見込んだものだが、文化的に伊達と南部で大きく異なるこの地方にとって、自分的には理想の案である。

最近、県境をまたいで様々な取組が行われている。高田から気仙沼への土砂の搬出やILCのことなどなど…。
将来的な道州制を見据えて、県境周辺を「バッファゾーン」として捉え、たとえば気仙沼市と陸前高田市で事業を行う場合、通常ならそれぞれの県で必要な許認可を、バッファゾーン内に限ってはどちらかの県で許可されていればよいなど、県境が受けていた不利益を打破するような政策が出来ないかなとモヤモヤしている。理想は、国、県、市の権限を一本化した「三陸特別市」が出来れば理想だが。

上記の地図が掲載されていたサイトには、昭和35年のチリ地震津波の浸水深を調査したものも含まれていた。この津波で志津川は大船渡に次いで多くの犠牲者が出てしまったが、この調査結果を見ると、今の防災対策庁舎付近まで4m近く浸水していたことがわかる。どうして、またここに街を再建してしまったのか、もう少し詳細に調べてみたい。