2013年11月10日日曜日

#289 共有Ⅱ

なんとなく体が軽くなったような感じで、熱を測ってみたら36℃代前半になっていた。ややのどの痛みは残っているものの、風邪は快方に向かっているようだ。ただし、天気は昨日とはうって変わって曇天が広がっていて、路面も濡れていた。

8時半過ぎにN君、Y氏と合流し、気仙沼市内を案内する。時間が早いのであまり店が開いていない。さかなの駅、合庁(外観のみ)、市役所(外観のみ)、内湾から南気仙沼地区をぐるっと案内する。南気仙沼では嵩上げ工事が進んでいた。引き続き岩井崎へ向かう。
昇り竜の松
荒天のため、誰もいなかった。今日のような波の高い日は、潮吹き岩が30mくらい海水を吹き上げていることを期待していたが、もろくも崩れ去った。
N君の愛車をドロドロにしながら、お伊勢浜を抜け、災害廃棄物の処理場を横目に通過する。
狛犬と蛙が仲良く処理を見守る
再び45号線に戻り、南下する。「プリウスの親玉」にはレーダークルーズコントロールと呼ばれる装置が備わっており、通常のクルーズコントロールでは危険な場面でも、適正に制動され、前走者に追従することが出来る。兄から引き継いだ1号機はあまりにもシンプルなので、最近の自動車の進化に驚く。自動走行が実現する日も近い。

強風や高波が気になっていたので、歌津の現場に向かう。波が防波堤を超えてきていたので、現場代理人のS氏と電話で協議。素早く対応してくれたことに感謝する。
自分が見せたいものがあると、伊里前復興商店街に立ち寄る。観光協会の建物内で「ポストくん」がケースに収まっている。
あわせて、「海とともに」という写真集を買い求めた。

志津川に向かい、解体を決定したもののまだ揺れ動く防災対策庁舎へ。第18共徳丸が解体を終えた気仙沼では、観光客が減少したという話も聞かれる。これからどうなるのか、予断を許さない。
南三陸さんさん商店街で昼食とする。名物キラキラ丼は、秋から冬のイクラにスイッチしている。以前も入ったことのある「田中前」に立ち寄る。
キラキラ☆彡
今日は荒天のせいかお客さんが少ないので、店主といろいろお話をすることができた。「粉もん」のお店の少なさに悲しい日々を送っていたが、どうやら志津川で楽しめる日が近いようだ。

食後に少しぶらぶらする。N君もY氏も、志津川で水揚げされた魚介類をたくさん買い求めてくれた。三重では、被災地の情報がめっきり少なったと思う。志津川の魚や貝に舌鼓を打って、家族だんらんの中、目に映ったことが三重の人たちに伝わっていくことを期待して...

三重に戻るお二人と別れ、BRTで気仙沼へと戻る。乗車すると、アンケートが手渡される。大雑把な属性、利用目的やバス停までの移動手段などを問われる。
数名の乗客を乗せ、決してほめられる乗り心地ではないBRTは北へと向かう。震災前は鉄道が担っていた仙台までといった中距離輸送は、三陸道が開通してしまえばすべてバスに取って代わられるのだろう。もはや鉄路で再開する必要性は薄れてしまう...

ベースキャンプに戻り、気仙沼の母の元へ向かう。N君から白髪がすごいと言われてしまったのは、髪が伸びていたからだろう。
防潮堤の話になり、母の前住んでいた場所はほぼ防潮堤敷になってしまうそうだ。どうすればよいのか、葛藤されていると話された。そして、大島架橋の話になった。昔は大島の住民が自然環境の破壊を防ぎたいと反対し、その後鹿折の住民が反対したと...自分が住民として知っている気仙沼は、2013年4月以降に限られている。こうやって過去の話を共有させてもらえるのは何物にも代えがたい。帰り際、こっそり別の無理をお願いする。

風邪を完治させるには温泉が望ましいと思い、その後のスケジュールも考慮し、久々に広田半島の黒崎仙峡温泉へ向かう。途中、頼まれていたホヤぼーやの切手をコンビニを梯子して探し求め、星石油店で給油する。
ホヤぼーやの切手
灯の少ない道を走るのは少し怖いが、なんとかたどり着く。日曜の夕方にしては人が少ないが、久々に熱めの湯を楽しんだ。
高田の友人と合流し、一ノ関駅へ向かう。BRT→大船渡線の乗継では、目的地に今日中にたどり着けないとのことで、足となることに。車内はinside Takata的な感じで盛り上がる。
「水上さんは誘ってこないよね?」と聞かれる。確かに、誰に対しても、自分から誘うということは殆どというか、まずない。その代り、誘われたら可能な限り断らないようにはしている。仕事の時はそうではないんだが...
何だろう、多分断られるのが怖いからだと思う。しかし、いろいろな情報は共有したい。こういった自らの姿勢は改めるべきなのか、そのままにしておくべきなのか悩む。

一ノ関に到着するも、残念ながら夕食の時間は取れなかった。近日中の再開を告げ、不愉快な284号線を気仙沼へと戻る。温泉以降、明らかに体温が上がっていることがわかる。クールダウンしようと冷麺を調達する。
ベースキャンプに戻り、体温を測定すると38℃...違う風邪にかかってしまったのでは...そして、実家から電話がある。どうも最近、なんとか期が訪れているような感じがしなくもない。

食後、買い求めた写真集を紐解く。震災前の南三陸の風景が次から次へと現れる。震災以降の街しか知らない自分が、以前の街を知る人たちと記憶を共有することは出来ない。しかし、こうやって書籍から得られる情報や見聞を踏まえて、少しでも街の人の気持ちに近づけたら、と思った。