2015年2月14日土曜日

#750 ZERO POINT -day1-

定宿で遅めの起床。外は絶好の天気、しかし風はとても強かった。歩道には雪が積もっており、どうやら夜のうちに雪が降っていたようだ。出発の準備をのんびりと進め、10時半ごろに出発する。あまりフルパワーで臨むと、また体調を崩してしまいそうなので...

仙台市内を抜け、いつ通ってもよくわからない交差点を抜け、長町ICから仙台南部道路へ入る。ユノディエールばりの直線を誇る仙台東部道路から常磐道へ。
カーナビでは目的地の中浜小学校へは山元ICで降りることを推奨していたが、あえて新地ICまで走り、戻ることに。
福島は浸水表示が若干異なる
6号線からナビに従って海側へと向かう。しかし、工事中のため田んぼのあぜ道のようなところへ迂回させられる。1号機にもっとも相応しくない道...
常磐線の移設工事中
そして、ほうほうの体で中浜小学校へ。
周辺の安全を確認し、強風ながらもドローンを飛ばす。
そして北上。山下駅に近づくにつれて、農地復旧さえも進んでおらず、そのまま残されたような状態の雰囲気になる。
 そして、山下駅前の橋元商店へ。山元に来てここをスルーするわけにはいかない。
以前来た時と変わらぬ雰囲気の場所。またしんちゃんに話を伺うことに。

農地復旧が進まない理由、まちづくり協議会の盛り上がりの無さ、コミュニティセンター建設のための行政との軋轢...行政と住民の不協和音は相変わらずだった。住民からの歩み寄りを行政が拒絶する構図が見て取れた。復興に必要なのは対話だと、改めて思う。

しばらくすると、体の大きな男性が、ビールの樽を持って入ってこられた。坂元地区にお住まいの方で、しんちゃんと懇意にされている方だった。
阿部和泉さんと仰るこの方は、オリジナルデザインのTシャツを販売し、その収益をもってTシャツを被災地に届けるという取組をされている。熱い人は熱い人のところに集まる、それを実感する。

話の中で、「たかちゃん」という人物が登場はする。元役場職員で、母と二人暮らしの家庭なのにも関わらず、コメの消費量が一般的に考えられる5倍とのこと。よほど体の大きな方なのか、と思ったら、全くそうではなかった。
再建された家は、仲間に勝手に「みんなの家」と看板を立てらて、常に人が入り浸る場所になっているとのことだった。
独裁的な首長に反抗できる稀有な存在で、「あなたがいるうちはここでは働かない」と、再任用の話を蹴る「たかちゃん」。
常に誰かと誰かが行きかう楽しい家。独身女性だそうだが、こういった生き方もあり得るのかな、とふと思った。

たぶん、ここの行政は住民の期待に応えていない。むしろ、その期待を裏切っているかもしれない。そんな行政との関わりを諦めず、仲間たちと街の再興に取り組むしんちゃん。山元の復興をこれからも追い続けていきたい。

話は尽きなかったが、再訪を告げ、一路岩沼へと向かう。
近くでは、常磐線の高架橋が伸び、新山下駅の建設が進んでいた。
 高速を走り、千年希望の丘へ。
そしてドローン。
風が非常に強く、正直寒い、どころか寒すぎる。この場を撤収し、次の場所へ。
ただ、途中で飛行機の撮影はしていく。
そして、名取市閖上へ。
 そして、仙台市の荒浜小学校へ。
既に日も傾き、寒さも一層強まってきたので、帰路に着く。

途中、石巻にいる高知から派遣のO氏に連絡を取る。既に夕食を摂ってしまったとのことだったが、「寄っていきなよ」と言われるので、その通りにする。
ボッチの夕食は久々のココイチへ。
O氏の住む仮設寮へ。「コーヒー買ってきたから」と用意してくれたのは、冷たいコーヒー...この辺りはO氏らしいというか、なんというか。「冷い(ひやい)のが好きじゃけん」と。

派遣職員のこと、仕事のこと、プライベートのこと。いろいろ話をする。「今日何してたの?」と尋ねると、終日引きこもっていたそう。足が無いO氏は、比較的引きこもりがちである。そんなO氏も、早池峰山に登ったことは、かけがえのない思い出だそうだ。そんな自分は、思い出が多すぎて順位付けは困難である。

与太話に盛り上がっていたら、時計は既に23時半。そそくさと寮を後にし、凍結を恐れながらベースキャンプへと戻った。