2013年8月19日月曜日

#206 L1、L2。

今日もムッとした朝を迎える。ひと月前には寒いなどと言っていたことが嘘のようだ。それでも、朝から30℃とかいった悲劇はない。

まだお盆が続いているのか、朝の道路は先週と変わらず空いている。職場でも、お盆後半に休みを取るメンバーもいるので、少しだけ空席がある。
帰省したメンバーから、お土産を頂戴する。S技師からは秋田(のある地方)名物のバター餅、茨城のI主事からは水戸の梅なるお菓子。三重にいたらほぼ口にすることはないので、とても楽しみである。

盆明け再スタート。県庁や役場の担当氏とやりとりしたり、資料の修正をしたり。
水漁のS技査から、「なんかすごく焼けてない?」と突っ込みが入る。土曜日の南郷一区復幸夏まつりのせいかな、と伝える。東北は色白の方が多いので、目立って仕方がない(汗
蒸し暑い非ライブカメラ
昼休み、学生の頃お世話になったバイト先のN社長から電話があった。どうもマルウェアに感染したようなので、対応方法を教えてほしいとのことだった。本来なら出向いて見てあげられれば良いが、今は気仙沼なんで...今日は暑いけど、31℃くらいしかないと伝えたら怒られてしまった...

今回の震災の教訓として、よく2つの防潮堤の事例が挙げられる。一つは岩手県宮古市田老、もう一つは岩手県普代村。
前者は昭和三陸地震津波以降、壊滅した街を復旧する際、高台移転に代わって強力な防潮堤で防御する方針を選んだ。しかし、10mの防潮堤をはるかに上回る津波が押し寄せ、抗うことは出来なかった。一方後者は、当時の村長の強い希望で15m超の水門や防潮堤を整備し、ほぼ無被害という結果を残すことが出来た。ただ、田老では防潮堤の整備がほぼ完了したころ、1960年のチリ地震津波が襲来したが、ほぼ無被害だった。

田老の堤防は、L1津波には十分に対応したが、L2津波では効果が十分に発揮されなかった。今整備を行っている堤防と同様である。堤防の整備だけでなく、次のL2津波がやってくるその日まで、避難という文化をずっと根付かせ続ける必要がある。もちろん、次の津波がL1かL2か即時に判断できないので、まずは避難が肝要だが...

数百年前、数十年前の人たちが、今の文明を想像できなかったように、数十年後、数百年後にどのような文明が生まれているのか、想像するのは難しい。十数年後には、一人一人のウェアラブル端末に、的確な避難経路が表示されるようになっているかもしれないが...

業務終了後、大型ショッピングセンターでパック寿司と消耗品を買い求めて帰宅。しばらくして夕立があり、気温がぐっと下がった。