2014年1月31日金曜日

#371 突然に

今日は残念ながらハズレの日。最近のアップダウンの激しい天気の、気温が低いほうの日にあたってしまった。今朝の三陸新報には、野々下の防潮堤の本体工が完成したと書かれている。高さは9.8m。
昨日とはうって変わった寒さに、フル装備で出かける。小雪も待っていたので徒歩で出向いたら、案の定汗ばんでしまった。

色々継続して業務を行うが、なんとなくバタバタしてしまう。残された時間が短くなってきている中で、来週は現場の予定や打合せがほぼMAXで入ってしまった。焦っても手が思うように動かないのが難点。
昼食の注文をしようとしたところ、財布に大きな札しか入っておらず、「お金こわしてくる」という話をしたら、同僚は怪訝そうな顔をしている。どうやら東海地方の方言だったようで…
非ライブカメラA
3月、三重からの視察のお申し出があり、希望に添えるような形でスケジューリングしてみる。被災地の状況がうまく伝えられるように工夫をしてみたいところ。昨日の研修会のレポートなどをまとめる。

業務終了後、坊主頭のS技査から突然のお誘いがあった。しかも、今まで飲みに行きたいと思っていた方も参加されるとのことで、喜んではせ参じることに。行きつけの「吞べ」にT氏と3人で向かう。
美味しい料理に舌鼓を打ちながら、気仙沼のこと、林業のこと、様々な情報交換が行われる。貴重すぎる情報が多数もたらされ、こっそりとメモを取る。
1次会で終わるはずがなく、2次会へ。定額飲み放題のお店だが、元は取れなかったような気がする。

帰宅後、テレビをつけるとNHKの「ドキュメント72時間」が放映されていた。次回の予告を見ると、「最北端のバス停」とある。宗谷岬に行ったとき、NHKのクルーから取材をされたとき、なんとなくこの番組が頭をよぎっていた。もしかしたら、映っているかも...

2014年1月30日木曜日

#370 岐路

この季節では考えられないような、暖かすぎる朝を迎える。昨日しそびれた洗濯をダッシュで行い、スーツに着替えて出発する。コートも手袋もいらないような陽気。

三陸道経由のバスで南へと向かう。東北道経由もそうだが、いつも違うタイプのバスがやってくる。今日は後部の座席がサロンになるタイプで、シートピッチが極端に広く、十分に足が組める。春のような陽気が心地よい。

県庁市役所前への到着は、気仙沼市内でやや渋滞にひっかかり若干遅れたため、昼食の時間が圧迫されてしまう。県庁2Fのけやきという食堂でうどんをかき込む。ここにやってきたのは実は初めてだったり...
なんとなく、宮城県庁にくると違和感を感じる。この厳かすぎる雰囲気のせいなのだろうか。三重県庁はカジュアルな感じで、立ち入りやすいと思っているるが、県民はそう思わず、自分だけかもしれないが。

2Fにある講堂で、建設業法令等遵守研修会が開催される。ほぼ満席の240名の受講者で賑わっている。県職員と市町村職員がほぼ半々である。
土木部の事業管理課が主催で、三重県でいうところの公共事業運営課、入札管理課、建設業課の3課の任務をひとまとめにした組織である。どちらが望ましいか組織なのかは不明だが、それぞれに目的に応じた仕組みになっていると思われる。

研修は、作成された手引きに基づき、建設業法や要綱などのうち、業務に密接にかかわる部分を抜粋して解説される。昨年も同様の研修を尾鷲で受講したし、一土施の試験勉強でいくつか覚えたが、改めて理解するにはよい機会だった。しかし、三重では各事務所で開催されていたが、宮城では県庁1回だけ。どちらがいいのかは別にして、こういった手法に三重と宮城の違いを感じる。

また震災以降、紛争の数が相当多くなっており、特に元請下請間のトラブルが多発しているとのことだった。自分のパートナーは幸いにもそのようなことはないが...

最後に担当者から、「技術面だけでなく、法令面でもルールに基づいて施工することでよい目的物が出来上がる」という言葉があった。確かに、どちらの職場でも、技術面での議論は盛んだが、法令面での議論は殆どされることがない。自分自身の公共事業の経験は、他の職員より圧倒的に劣る。技術面で追いつくには時間がかかるが、法令や安全管理という面で厚めの情報や知識を得て、メンバーにフィードバックできるようになればと思う。

帰路は高速バスに乗らず、鉄路+BRTを試してみる。2回の乗り換えが発生するが、このルートも活用できれば冗長性が増す。第4のルート、新幹線+気仙沼線はB/C的に難しいが…

ひとまず仙台駅から小牛田まで普通列車に。帰宅時間帯ではあったが、6両編成の列車はわずかの立客だけであり、3つほど駅を過ぎたら着席できた。先代は100万都市だが、人口密度は四日市とさほど変わらないからなのか、鉄道沿線であれば通勤に困ることはなさそうだ。
小牛田で6両編成の列車は2両になり、一ノ関へ。残された車両は折り返し仙台行となった。
亀山駅に似た雰囲気
小牛田から柳津行の1両「編成」の列車へ。
若者たちがそこそこ乗っていたが、 終点の柳津に到着するころには数えるくらいになっていた。
少しのインターバルを経て、BRTへ。自分を含めて3名の乗客で出発する。

漆黒の闇に包まれた志津川の街へ。こちらの来てから2度食事をしたさんさカフェが昨日で閉店した。昨晩N先輩からメールが来てそれを知った。
大手ニュースサイトには、利用客減少の打撃が大きかったと書かれていたが、自らも立ち寄る機会は何度もあったものの、ある理由があって、2度目以降の来店をしていない。

気仙沼横丁のまぐろ亭のマスターも仰っていたが、観光客が減ってくるこれからが、被災地の正念場のだと思う。ここでしか得ることのできない、味、人情、雰囲気...その「何か」を求めてやってくるお客さんに、「何か」をうまく提供できればいいのだが...口で言うのはたやすいが、皆さんそれを常々考えておられるのだろう。

日中のBRTは、志津川の次はベイサイドアリーナに停車するが、夜間など一部の便は専用線を通り清水浜へ直行する。始めて走る区間だが、過去には「三陸鉄道(三陸の鉄道という意味で、3セクの三鉄とは異なる)気仙沼線」と呼ばれたこともある新しい路線なので、殆どがトンネルの中。

ニュースサイトには、JR山田線はJR東日本が復旧を行い、三陸鉄道に無償譲渡する案があると書かれていた。受け皿の有無とか、岩泉線のこととか、宮城とは異なる事情があることは十分に理解している。しかし、BRTの受け入れを拒否し続けた地元ということも関係するだろうが、山田線を復旧することで、鉄路をもって岩手三陸の鉄道が一本につながるのかと思うとうらやましい。

歌津で一人下車し、本吉で一人乗る。特に渋滞もなく、無事南気仙沼に到着する。

仙台から気仙沼までの第3ルートは確保された。しかし、専用線を走行するBRTの乗り心地はあまり好きではない。鉄路がいずれは戻るのだろうか、山田線のような方向性が出るといいんだが...

#369 交差点

昨晩の強風もすっかりおさまり、落ち着いた朝を迎える。しかし、気温はめっきり低い。いつものように準備して、いつものように出勤する。

昨日のヒアリングの結果などを参考に、パワーポイントの作成をはじめる。資料としては作りこんだほうがいいのかもしれないが、あまり作りこんでも説明に窮する。悩みながら作業を進めていく。
非ライブカメラA
非ライブカメラB
午後も作業を進める。今日はあまり電話などもなく、没頭することが出来た。8割方完成し、あとは何とかなりそうなところまで進められた。しかし、若かりし頃のような破天荒な作品は出来なくなってきた。人に何か伝える機会が減っているからなのか、それとも歳をとったせいで若干守りに入ってきているからなのか...

急ぎ帰宅し、磯やに向かう。週末に予定されているあるスポーツ大会への決起集会が開催される。気仙沼市役所から5名、こちらからはW技師、S主事あわせて3名の8名チームになる。宮城(気仙沼、白石)、福島、千葉、東京、三重、広島、鹿児島と、超混成チームがきちんと機能するのか謎である。
先週岩手で開催された大会に出場していた長野出身で市役所派遣のK氏が、ルールについて手ほどきをしてくれる。参加者だれもが未体験の競技なので、やや不安になってくる。

宴もたけなわとなったところで、となりのテーブルで盛り上がっていた作業服姿のおんつぁんに話しかけられる。気仙沼国道維持出張所の面々だった。三重出身であることを告げると、お一人は紀勢道の工事にも関わったとのことで、親密度が加速度的に上がる。東北出身者ばかりだったが、寡黙さとは無縁の明るい方々だった。
磯やといい、より道といい、居酒屋は全国の人たちが集う交差点になっている。

あまり食べなかったからか、少し酔いが回ってしまった。ベースキャンプに戻り、そのまま寝る。

2014年1月28日火曜日

#368 RAW

天気予報では3月下旬並みの気温になると告げているが、朝は気温がグッと下がっている。窓から眺める街は、特に凍結している様子もなかった。いつものように準備して、いつものように出勤する。

朝一、自分あての宅急便が届く。頼んでおいた書類だ。かなり素早いレスポンスが気持ちいい。しばらくして、歌津の現場代理人S氏から電話が入る。今日、段階確認をしてほしいとのことだった。ちょうど午後のスケジュールとマッチしたので、現場に出向くと伝える。

所属のクルマが全て埋まっていたので、総務のワゴン車を借用する。トヨタ自動車から支援で贈られたクルマが合庁には多数存在しており、これもその1台。画一的な白のライトバンとは違って、ラベンダーメタリックのボディーカラーがよく目立つ。

車載の温度計が7℃を指し、路側の温度計も高い所で10℃。

歌津の施工現場で、600個目の消波ブロックを設置する。500個から今日まで、かなりいいペースで設置が進んでいる。
上段を積むのには少し時間がかかる。そして時折強い波がやってくる。チーム白老も少し波に濡れながら頑張ってくれていた。

代理人のS氏と打合せをしていたら、昼を告げる音楽が防災無線のスピーカーから流れる。竜巳やで昼食を...と思ったら今日は休み。三重から出店している開花屋に寄る。
ボリューミーすぎる麻婆飯
2月の発表用資料に使うために、志津川の街を撮影する。45号線から海側の道路の殆ど、山側の道路も一部が通行止めになっており、嵩上げ工事が鋭意進められている。
パノラマ
4月20日
役場でヒアリングを行う前に、隣接する図書館で昭和35年のチリ地震津波の資料がないか探してみる。しかし、流出してしまっているため、期待している本は見つからなかった。自分のバッチが鈴なりになった名札用ネックストラップをみて、司書さんが声を掛けてくれただけでなく、レアなバッチをくださった。ちょっと恥ずかしいと思うこともあるストラップだが、こうやって話のネタになることはある意味本望である。

役場の2階にある企画課を訪ね、南島原市から派遣のH上席主幹から復興計画についてヒアリングを行う。2年目を迎えているH上席主幹は、プロパーの職員と変わらない受け答えをしてくださった。
2011年中に作り上げた復興計画だが、2011年4月に3人の職員で発足した震災復興事業課がスタートになっている。スタッフも次第に拡充され、計画策定と事業実施がそれぞれで前に進めることの出来る今の組織体型は、システマチックで理想でもある。

これから様々な事業に取り組んでいくだろう三重に対し、いくつかアドバイスをいただく。復興計画のシミュレーションを行っておくとよい、データのバックアップは復元よりはるかに楽なのですぐ実施すべき、応援協定を遠隔の市町村と結んでおくべきなどなど。また、今の三重では少人数で担当していて不安かもしれないが、必ず応援がやってくるので安心してほしいとも。H上席主幹も、佐藤町長が過去に雲仙普賢岳噴火の際に支援活動を行ったことが縁でここにいるとのことだった。

南海トラフの地震が発生した際、今のような派遣体制を構築しようとするとこんな感じかな、と考えてみる。こういった事態にならないに越したことはないが…。
九州東海岸←九州西海岸、四国←中国・山陰、近畿(大阪・兵庫・和歌山)←近畿(京都・滋賀・奈良)、東海(三重・愛知)←岐阜・北陸、静岡←山梨・長野、関東(東京・神奈川)←関東(左記以外)・東北・北海道

戸倉の施工現場に寄る前に、竣工したばかりの藤浜防集団地を覗く。安全パトロールで工事中に訪問したことがあるが、完成してから見るのは始めて。気仙沼、南三陸で初めて完成した現場である。

引き続き、戸倉の現場事務所で打合せとなる。工程や進捗、資料整理などなど・・・。また、現在の施工業者側の困っていることなど、生の声を聞くことに。
紀伊半島大水害の際、行政と建設業協会との間で意見交換や情報交換の会議が定期的に行われていた。この地方にはそのような連絡協議会がないので、情報の流通が芳しくない。このあたりは三重の合理的な県民性が現れているような感じがする。

帰庁後、ヒアリング内容などをまとめていると、先ほど役場で立ち話をした鳥羽市役所から派遣のM氏からメールが届いていた。南三陸と同様の悩みを抱える鳥羽市、M氏個人からは悩みぬいている感じが伝わってきた。

同様に残っていたT技査から夕食の誘いを受ける。
未だに訪問したことのなかったココサカエルへ。2階にある中華料理店「一凛」へ。T技査は常連らしく、店の方とも馴染んでいた。
T技査の注文したフカヒレラーメン
野菜不足を補う青椒肉絲
週末の出来事などを話していると、T技査から、県内でも厳しい道路が沢山あると教えられる。食後にねまっていると、お店の方からケーキをいただいた。

寒風が吹き荒れる中、ベースキャンプに戻る。郵便受には、年末に行われた南郷一区の親睦会の写真が投函されていた。写真で見る自分の顎のたるみに、少し恐怖感を覚えた。

#367 思いを伝える

気温が上がったり下がったりと、目まぐるしい日々が続いている。昨晩の雪は積もらなかったようで一安心。しかし、残念ながら今日は気温が低いハズレの日。無風なのでそれほど厳しくもないが...

風邪などで体調不良の方がちょくちょくみえる。確かに、この気温の激しい変化は体にはキツい。今、動かしたい業務は資料不足で動かせないので、前倒しで業務を進める。

来月の帰県の際に、都市計画担当者の前で少し話をすることになっている。正直、伝えたいことが沢山ある中で、この機会を設けてもらえたのは本当にありがたい。都市計画課のKさんに感謝してやまないし、人と人とのつながりが大切だと強く感じる。しかし、今思っていることを、どうやって適切に伝えていくべきか。淡々と説明してもまったく印象に残らないので、興味を引くネタも仕込んでおかなければならない。

まちづくりに興味を持ち始めたのは、美し国おこし・三重さきもり塾でちょっとした調べ物をした時からだと思う。結果を発表した直後に東日本大震災が発生。自分の思っていたことが間違っていないと感じた。ただ、その時の思いを具体化するには時間がかかるし、一人でできるものでもない。
今まで自分の考えていた思い、被災地での勤務で感じた思いをきちんと伝えるために、少し下準備をしておく。
非ライブカメラA
非ライブカメラB
午後も作業を続行する。しばらくして、三重から自分あてに郵便が届く。中には季刊誌「三重の林業」が入っていた。目を通してから、職場で供覧する。

業務終了後、ホームセンターでウオッシャー液を購入し、大型ショッピングセンターで夕食を買い求める。きりたんぽ鍋が半額の150円になっており、体を中から温めようと、迷わず買い求めた。

2014年1月26日日曜日

#366 around the "AX" -day2-

部屋の中でガサガサと音がし始めたので目覚めると、既に7時半を回っていた。T氏は既に露天風呂を堪能されていたよう。ひとまず朝食に向かう。

一人一人膳に用意された朝御飯を食べる。少しだけ〇〇バー的な感じになっており、納豆や温泉卵を手にする。自分はご飯を茶碗1杯、T氏はお櫃ごとおかわりをしている。恐るべき食欲!!
上高地の帝国ホテル風、といったら言い過ぎか...
幸いにも、誰かが1号機の除雪をしてくれていた。雪道をそろっと海岸へ向かう。大畑から279号線を北西へと向かう。右手には津軽海峡を、左手には鉄道未成線後を眺めるという、至福の時間を過ごす。天候はあいにくの曇り。対岸に北海道を眺めることはかなわなかった。

大間町に入ると、本州最北端のという文字が目につくようになる。看板に沿って走ると、おもむろに大間崎に到着した。17年前に来訪したことがあるが、その時の印象とは何か違っているような気がする。ただ単に、自分の記憶が薄れてしまっただけかもしれないが...
クルマを駐車場に止め、散策する。これまでの状況と異なり、風がめっぽう強い。気温は3℃だが、体感温度ははるかに低い。
整備された周辺
マグロと格闘するトラ男
記念撮影
土産物屋は殆どが閉まっていたが、開いていた店でいろいろと物色する。こだわりの商品が所狭しと並べられていた。
購入したPOPな法被
岬を後にし、マグロを食べてみようかと近くの店に寄ってみるが、残念ながら開店前。引き続き、マサカリの「歯」の部分を南へと下る。

道路は雪もなく、順調に進む。途中、佐井を抜けたころには道路に雪が。道のアップダウンも激しくなり、1号機では前に進むことが厳しくなってくる。困難な道を進み、仏が浦のパーキングにクルマを止めると、先ほどから抜きつ抜かれつしていた宅急便のクルマからドライバーが降りてきた。
「このクルマ、二駆ですよね?」と尋ねられる。三重ナンバーを見て、気になっていたとのこと。これから先の道は除雪もされておらず険しいので、引き返すことを薦められた。携帯電話のキャリアについても確認され、最大手以外は多分通話が困難であることも告げられた。FJクルーザーカムバック!と心の中で叫ぶ。先代の1号機は道を選ばなかった...
高台から仏が浦を眺めることに。絶景であることは間違いないので、ここも要リベンジ。
元来た道を引き返すことに。至る所で後輪が空転し、VSCの作動ランプが明滅する。

大間の街をバイパスで回避し、海岸沿いの道をひた走る。途中の駐車帯にクルマを止め、対岸を眺めると北海道がチラ見えする。
石碑には北海道、ではなく、北通道と書いてある
昼ご飯を食べそびれてしまい、むつ市にある物産館のまさかりプラザへ。しかし、レストランは14時まで。タッチの差でアウト。土産物を物色する。横浜町の道の駅を目指すことに。
 時間も時間だったので、次に備えて軽くほたてバーガーにしておく。
ここから青森市内を目指す。ルートは2つあるが、みちのく有料道路の方が安心できるのでは、と思い、まず下北道に乗る。しかし、だんだん雪が強くなり視界が悪化してくる。

下北道を降り、野辺地町や七戸町に入ることには若干吹雪いてきた。そして、みちのく有料道路は不幸なことに除雪も何も行われておらず、とてつもなくストレスがたまる行程になる。なんとか走り終え、料金所横のパーキングにクルマを止め一服...
FRの難しさを痛感。通りで走っていないはずだ。
青森市内で給油を済ませ、目的地の「札幌館」へ。謎の名物「味噌カレー牛乳ラーメン」を食べてみることに。
味は、カレー6:牛乳3:その他:1という不思議テイスト。不味くはないが、次はないような感じがしている。

腹も満たされ、帰路に就くため東北道に乗る。しかし、この後絶望的な状況が待ち受けていた。
雪は次第に強くなり、視界がどんどん奪われる。時折、全く前方が見えなくなる事態に追いやられる。高速で事故など自分には無縁だと思っていたが、今、まさにその危機に直面していた。
追突することのなかった後続車のドライバーに感謝する。

這う這うの体で、小坂PAに入る。雪は止みそうにないが、先ほどよりは少しだけ弱くなった。間違いなくT氏には大船渡派遣で最大のストレスを与えてしまったと思うし、自分自身も自動車学校の卒業検定に匹敵するくらい、胃が痛くなった。
最悪の結果を招くことはなく、20㎞ほど進んだところで路面の雪もきれいになくなっていた。安代JCTからは行きと同じルートをたどる。T氏にけがをさせることがなくてホッとした...

目標到達時間を21:30に設定していたが、その目論見は大きく崩れ、結局SGには23時前に到着した。今回参加しなかったH氏と少し談笑し、ラストスパートへ。市内のコイン洗車場で汚れを落とし、ベースキャンプに到着したころには日が変わっていた。

今回の旅で得られた教訓は、冬の雪国にクルマで出かけてはいけない!

2014年1月25日土曜日

#365 around the "AX" -day1-

6時40分ごろに起床し、O氏にお礼を言ってからSGに向かう。同行する、板橋区から大船渡市役所に派遣のT氏からは準備完了しているとのメッセージがあった。
小雪がぱらつき、あまり天気がよくないが、ひとまず1号機にて一路北へと向かう。

107号線を走り、宮守から釜石道へ。先週と同じように紫波SAで小休止する。先週と異なるのは、雪の量が圧倒的に少ないことか。次第に天候は回復し、この前雫石から一時みえた岩手山も、今日はばっちり!

途中除雪車なども目にするが、既に外気温計は5℃を指しており、道路はドライ。順調に進み、予定より30分ほど早く八戸の八食センターに到着する。

以前もその賑わいに感心したが、今日もたくさんの来場者。魚介類、お土産、野菜...眺めているだけで楽しい。
おっきなタラ
欲しい!けど飼い方がわからない...
以前来訪時に買い求め、姉が絶賛していたスパークリング・アップルジュールを2箱買い求め、実家に送っておく。
一通りうろうろし、少し早目の昼ごはんにする。少し悩んだ結果、前回と同じく八食市場寿司へ。かなり好きな店。
タラの白子
ウニをガッつくT氏
100円の寿司とは違うのでそこそこいい値段がするが、何を食べてもおいしいので大満足。
おなかもいっぱいになり、338号線を通ってさらに北を目指す。

三沢に入ったころに、見覚えのあるデザインの記念碑を見かけたので引き返す。以前、階上町でみたものと同じフォルム。
地震海鳴りほら津波と記載
この辺りは「四川目」地区と言う場所で、以前は集落があったそうだが、自衛隊の訓練による騒音被害などを避けるために集団移転が行われていた。
青森の太平洋沿岸も津波が襲来しているが、この辺りでその痕跡を見かけることはなかった。海岸線に続く防災林が効果を発揮したのだろう。

「まさかり」に似た下北半島の「柄」の部分を北へ向かう。まっすぐに伸びた道、時折現れる集落、そして森。北海道に似た風景が続く。
六ケ所村を抜け、東通村へ。エアコンを切っても暑くなってきたので、窓を少し開ける。
338号線から別れ、県道を走る。完全に除雪されているわけではなく、FRの1号機は時々不安定な挙動を示す。
いよいよ松林の向こうに海峡を目の当たりにする場所に出る。この季節としては例外的な暖かさがありがたい。

「寒立馬」で有名な尻屋崎は冬季閉鎖されておりアプローチすることはできないが、寒立馬は近所の「アタカ」と呼ばれる牧場で冬を越す。一旦牧場を通り過ぎ、ゲートのところまで向かう。
暖かくなってから、また来よう
そして、いよいよ牧場へ。
広々とした場所に、20頭ほどの寒立馬が草を食んでいる。今日は雪が殆どないので、写真で見るようなイメージとは異なるが、それでも馬はかわいい。しかし、足元に気をつけないと落し物を踏んづけてしまいそうになる。
しばし、撮影に興じる。
一通り観察を終え、牧場を後にする。
尻屋の集落は、思っていたよりも住家が多く、子どもたちもたくさん目にする。いい意味で想像とは異なる様相を示していた。

一旦むつ市に向かい、地元のスーパー「マエダ」で買い出しを行ってから宿へ向かう。道路はビシャビシャになっているが、走行に特に支障はなかった。
段々雪深くなり俄かに不安になってくるが、周囲の建物が増えてきたころに、目的地の「ホテルニュー薬研」に到着した。

建物は決して新しくはないが、適宜リニューアルが行われており、スタッフの対応も丁寧でとても好感が持てる。まずは温泉に入り、食事となる。流行のバイキングではなく、別室で丁寧に盛りつけられた料理を食べる。ビール1本付で、この値段はB/Cが10はいっている。久々に当たりのホテルだ。
味もまずまず
べこもち入り鍋
けいらん入りお吸い物
部屋に戻り、少しつまみながらT氏と話をする。こうやって旅行に来ることも、もう二度とないかもしれない。これもまた縁なのだろう。

2014年1月24日金曜日

#364 on the edge

天気予報では暖かな日と伝えていたが、朝は劇的に寒く、おそらく-5℃くらいと思われる。それでも風がないので耐えられる。いつものように準備して、いつものように出勤する。

最近T班長の不安感を高めつつあったので、工事の精算に向けた作業に取り組む。すべての資料がそろっているわけではないので、ある程度手元にある材料とを使ってシステムに入力する。また、不足する資料も取り寄せる段取りを整える。電話一本で済むところもあれば、未知の相手にはきちんと資料を準備して臨まなければならないので、この作業が予想以上に時間をくってしまう。
非ライブカメラA
非ライブカメラB
午後も作業を続ける。若干手間取ったものの、T班長を安心させられる答えが出た。後は工事がつつがなく終わってくれることを祈るのみ。もう低気圧とか来ないで欲しい...
市役所に出かけていたI主事が帰庁する。車載温度計は7℃とのことだったが、なんとなく寒くて、ちょっと悲しい。

業務終了後、荷物をまとめて急ぎ気仙沼へ。大船渡農林センターのO氏と合流し、盛駅へ。U氏と合流し、さらに環境省のK氏も合流する。
三陸鉄道の「初春日本酒列車」にこれから乗り込むが、はやる気持ちを抑えるのが精いっぱい。先にホームで撮影に興じる。
夜の盛駅
貸切の行き先表示に萌える
満員の乗客を乗せて盛駅を出発する。テーブルには酒のつまみがたくさん入ったお弁当とグラスに注がれた日本酒、そしておちょこが置かれていた。
冒頭、主催団体の大船渡ネットの挨拶、そして乾杯となる。
酔仙酒造の会長も!
お酒は酔仙の各銘柄が用意されており、「初酒槽(はつふね)」やまもなく発売される「あらばしり」などなど。
↑K氏  O氏↑ U氏→
おべんとう
三鉄の職員さんがサーブ!
しばらくして、余興が始まる。
酔仙酒造を唄った「大石」を熱唱する民謡歌手
そして「潮騒のメモリー」!
途中、恋し浜駅で小休止。以前書いたホタテの貝殻があるかと思って探したが、見つからなかった。
列車は吉浜駅で折り返しとなる。非日常の雰囲気が酒を進ませる。
NHKのスタッフが自分たちのボックスを尋ね、「陸前高田出身の方は見えませんか?」とのことで、U氏がインタビューに答える。酔仙酒造の唄について聞かれていた。

そして、三鉄の部長が挨拶に寄られる。いよいよ4月に全線復旧が予定されており、27日に記者発表で正式に開通日程がアナウンスされる。万難を排して臨みたいところだ。

惜しむらく、列車は盛駅に到着した。大満足の2時間を終えるが、やや物足りないので「五葉始め」と称し、著名な居酒屋「五葉」に出向く。楽しみにしているU氏の豆知識が披露される。伊達藩は非常に裕福で、南部藩は逆だったことなどなど。しかし、いつも以上に酔ってしまっており、少し寝てしまった。
起きたら既にK氏はいなくなっていた。SGのO氏も来店されるが、店のキャパ的にいっぱいだったので去って行った。

日が変わりそうな頃に散会となる。O氏宅にお邪魔し、コーヒーをいただいでよもやま話。震災後の出来事や仕事への姿勢、人生のことなどなど…
2002年のワールドカップの際、同じ会場にいたことが判明した。もしかしたら、どこかで会っているかもしれないが...
震災がなければ、こうやって親しくすることもなかったのかと思うどころか、一生会っていなかった可能性が高い。そう思うと、複雑な気持ちにもなるが、ある意味感慨深くもある。