2015年3月26日木曜日

#790 引継ぎ

この季節らしい暖かさと言うか寒さと言うか、いつものような朝を迎える。いつものように準備して、いつものように出勤する。

朝一、市役所で転出の手続きを行い、合わせて郵便局で転送を依頼する。他にもやりたいことがあったが、時間切れとなってしまった…

午後から行われる引継ぎに備えて、資料のまとめに入る。十数ページにわたる引継書、それに付随する資料。いつも思うのだが、長くいるとそれだけ引き継ぐことが増えてします。組織として動いているにも関わらず、属人的なこともそれなりに出来てしまう。N技師を巻き込んで可能な限り排したつもりではあるのだが。

昼休み、ダッシュでカメラのオガタに向かう。親しかったメンバー分のフォトブックを作成する。作りながら、思わずジーンとする。
H主任主査のボリューミーな引継に時間がかかり、その後に自分の引継ぎとなる。県庁からやってきたK技査に引き継ぐのだが、書面を読み上げるだけで膨大な時間が掛ってしまう。K技査はこれから仙台まで帰還することになるので、あまりもたもたもしていられない。要点を可能な限り説明して、あとはN技師に託すことにする。

夜、気仙沼の母とミサコさんにお招きいただき、送別会が開催される。母宅に上がり込んで、手料理を食べながら四方山話に花が咲く。2年という月日が、こういった場に昇華したのかと思うと、とても感慨深いものがあった。職場だけでなく、地域ともコミュニケーションが取れたことは本当によかった。この街の本当の声が聴けたような気がする。
時間も遅くなったので散会となる。母たちと再び会う日は必ず来るだろう。

2015年3月25日水曜日

#789 天下分け目の戦い

春は三日の晴れなしと言われるが、雨の少ないこの地方は意外に天気がもつ。いつものように準備して、いつものように出勤する。

引継ぎ関連の資料をまとめ、昼前にNとIという施工箇所にかかる打合せのため、コンサル氏が到着する。ボーリングコアを渡し、N技師、F氏とともに打合せとなる。的確なアドバイスを出してくれるF氏の存在は本当に大きいが…
非ライブカメラA
午後、鹿児島から気仙沼市役所に派遣のk氏が訪ねてくる。おもむろにカバンからカメラを取り出し、窓から撮影を始める。もう自分の職場のようにわがもの顔である。
無事に引継書も完成し、「解散会」へと向かう。差し迫った日に設定したのは、親睦会「北の会」の幹事、最年少のS主事の20歳の誕生日を待っていたから。

天婦羅丸子の座敷がメンバーで埋め尽くされる。自分は幹事長なので、入口に近い席に座る。T部長に全員の異動先を発表してもらい、宴が始まる。

隣には、今月いっぱいで契約満了となる臨時職員のCさんが座られる。今まで震災の話をしたことがなかったが、家族に起きた出来事を話してくれた。
ご両親が松岩に住んでおり、津波によって建物は完全に破壊され、そして行方不明になられた。お一人は流された家の中で、お一人は大島で見つかった。
その話を横で聞いていたT班長が目を潤ませていた。震災の話を聞くと本当に辛いと話される。3月11日の時の自分は、T班長のことを誤解していたんだと改めて思った。

いろいろなメンバーと代わる代わる話をした。まだ話足りないことも沢山あったが、散会となる。
その後、有志でさくらボウルへと向かう。H主任主査、N技師、S主事、H主事、そしてK氏とU氏。別途帰路についていたN技査も強引に呼び出すことに。

ちょうど8人になったので、2レーンに分かれる。図らずも、プロパー職員対派遣・任期付、出身地も秋田・宮城対岐阜・三重・兵庫・佐賀と東西分かれることになった。譲れない戦いが始まる。
第1ゲームはH主事の活躍により僅差で西軍が勝利する。自分は2ケタしか出せず、強力に足を引っ張った...第2ゲームは久々にターキーをだし、西軍の圧勝に終わる。結果、2連勝。
試合結果が腑に落ちないH主任主査がリベンジマッチを求めるが、このメンバーで集まれるのは今日が最後だろう・・・
残された日数はあと3日。また一つ思い出が出来た。

2015年3月24日火曜日

#788 スピード

2月程の寒さではないが、やはり寒い朝を迎える。いつものように準備して、いつものように出勤する。

朝一から、現場技術業務委託の打合せを行う。監理技術者とF氏、こちらは自分とN技師で対応する。4月からF氏が交代することはもう既定事実になってしまったが、それも止むを得ない。役人にも常に人事異動があるのだから...あとはフォローに期待することにしよう。
非ライブカメラA
引継書もさることながら、机上の整理も進めなければならない。熊野から気仙沼に直行したのだが、結局一度も日の目を見ることがなかったものも多数存在する。箱詰めを始めると、あっという間にいっぱいになってしまった...
書類の整理やもろもろ進めていると、既に21時を回っていた。

帰路、コンビニで晩御飯を買い求める。
袋を開けてみると、自分が買ったはずのものと違うものが入っていた。もしかして、店員さんが間違えたのか...と思ったが、電子マネーの履歴を見ると間違えていない。ただ自分が勘違いしていただけだった。
あまり好きじゃないボンゴレ...
届いていた東海新報に目を通す。全く新しい街を造っている陸前高田市の工事進捗について触れられていた。
2年住んでいる気仙沼でも、自分なりにコミュニティが生まれてきた。ましてや5年、それ以上となってしまうと、新しい場所でのコミュニティから離れたくない気持ちも生まれてくるだろう。ある一面では復興のスピードは決して遅くはない。しかし、この面では確実に遅いと思われている。

2015年3月23日月曜日

#787 逆支援

昨日とはうって変わって、また寒い朝を迎える。部屋ががらんとしていたので、かえって落ち着かず、若干寝不足な気がする。
寒暖を繰り返して春になっていくのだろが、3月下旬なのに雪が積もるのはいただけない。
 引継書の作成を進めながら、関係する他事務所の職員に問い合わせを行う。1階に出向いたところ、壁には三重県の観光ポスターが。土木事務所に派遣のT氏の仕業だと思うが、よい仕事である。
非ライブカメラA
午後も粛々と引継書を作成する。しかし、ある書類を見ていると、役場で本来やってもらう必要がある業務の状況が気になる。建設課のO係長に電話を掛けると、「あ、3月議会ではやってないです…」と。そして、また一つ書類作成が増える。

業務終了後、歯の詰め物を復元してもらうために菅原歯科へ。Jr先生から「親父が寄ってけと言っていたので、家にあがっていってください」と勧められる。
菅原先生から「大寿司に行こう!」と誘っていただいたが、生憎定休日。晩御飯を食べていきなさいとのことで、ごちそうになってしまった...支援に来ているはずなのに、支援されっぱなし...
その間も、ずっとJr先生とクルマ談義で盛り上がる。
いい時間になってしまったので、ベースキャンプへと戻る。

荷物がほとんど運び出され、殺風景な部屋でもそもそと作業を行う。いただいたものを食べ、いただいたものを眺め...
栗原のT氏からいただいた米ていら
室根のOさんからいただいたお手製のほやボーヤ
マントには名前入り
もう来週にはこの部屋にはいないんだと思うと、少し切なかった。

2015年3月22日日曜日

#786 怒涛の引っ越し 2日目

昨日よりも早く目覚めようと、6時半に目覚ましをセットしておいたが、それよりも前にO氏は起床していて、外に出ていく音がした。
O氏が帰還するタイミングで起床する。やはり、朝飯を買ってきてくれていた。本当に世話になりっぱなし...

残された部分の片付けと掃除を進めていく。自分のペースを見るに見かねて、O氏が風呂掃除を始めてくれた。申し訳なさ過ぎて顔向けできない...

しばらくすると、向かいのK氏の部屋を訪ねたO技師が、こちらの部屋にも顔を出す。せっかくだから、いらなくなった家具などいろいろ持たせよう、というか押し付けようと仕掛けたが、それを察したのか、無下に断られてしまった。

春らしい暖かさの中、窓を開けて引き続き部屋掃除となるが、ついたばこに手を伸ばそうとすると、O氏から「そこの掃除が終わってから一服しましょうよ!」と叱責される。物理的にも精神的にも、O氏がいなければ掃除は終わらなかっただろう。

大方決着したので、気仙沼の母の元へタイヤを回収に行き、宅急便窓口に寄ってから昼食へと向かうことに。最後の来訪者となるN先輩とアンカーコーヒーで合流する。そして昼食をごちそうになってしまい…
奇跡のコラボ
 モーターズショップエビナで交渉を行ってから、O氏と亀の湯という銭湯に向かうが、残念ながら日曜はお休み。「どうするべ?」とかだっていたところ、高田の黒崎仙境温泉へ向かうことに。
良く見えていないが、入湯中は見えた
結構まったりしていたら、フェリーの時間が怪しくなってきた。しかし、行く手を阻む低速車...
しかし、今回は1号機の真価が発揮され、出航30秒前にフェリー乗り場に滑り込む。以前のような悲しい事態にはならなかった。
 ひとまずベースキャンプへと戻り、軽く夕食を済ませる。
いただき物の亀山ラーメン
 K氏、U氏とともに、20日に開店したばかりのさくらボウルへ。元々は海の市の向かいあたりに建っていたのだが、津波により被災。一時は存続が危ぶまれたが、市民の熱い声援もあったとのことで、浸水の恐れのない東新城地区で復活することに。
 やはりというか、ある程度予想はしていたのだが、14レーンの半分強しか埋まっていなかった。こういった開店直後だと、概ね来場客であふれているのだが…4月以降に期待しよう。
 当初はあまりやる気の2人だったが、やっているうちに熱が入ってきたので、結局3ゲームすることに。
こうやって、また一つ思い出を作り、ベースキャンプへと戻った。

2015年3月21日土曜日

#785 怒涛の引っ越し 1日目

最早惰眠を貪ることが許されない状況に陥っているため、7時に起床する。

昨日、引っ越しを手伝ってくれる大島のしんちゃんことO氏には、進捗率が0%であることと、ある程度片付けを行いたいので、昼頃に来てほしい旨を伝えてある。ひとまず、身の回りのものを手当たり次第に箱に詰める。

10時前には、ストックしていた箱が底を尽きかけていた。その矢先、O氏が既に近くまで来ていると連絡が入る。ひとまずベースキャンプへ招くが、とても見せられるような状況ではなかった。ガムテープなど求めていた消耗品を用意してきてくれるところは、さすがO氏。ここからは2馬力で作業を進める。
そんな中、N技師から連絡が入る。バイクを動かしたいので、気仙沼までやってきたいとのこと。ちょうどN技師におあつらえ向きの作業が発生したので、受入を表明する。

昼、不足する資材を買い求め、合わせて昼食へと向かう。近場のオーベルでシーフードパスタランチを食べる。

午後も作業を続行する。本当にO氏がいなければどうなったのだろうか...
14時ごろ、N技師が到着する。さっそく、一度もモノを切ったことのないチェーンソーのバー取り外し作業を依頼し、その後箱詰めを協力してもらう。優しいO氏とは異なり、N技師から強力なプレッシャーがかかる。プレッシャーをかけるのは自分にだけでなく、箱詰めのモノに対してもだが...やめて、割れる!!

ほぼ梱包が完了し、屋外に運び出す算段でW技師を召喚することに。段ボールはしめて19箱となってしまった。行きの倍...
「たぶん7割はごみなので、捨てたらいいのに」と憎まれ口を叩くW技師。なにっ!箱の中はすべて宝物なのに…結局、O氏の軽トラには乗りきらず、1号機に分散して宅配便窓口へ運ぶことに。

既に次の予定の約束時間は過ぎているにも関わらず、窓口で大量の伝票を書く羽目に。しかしもう間に合わなくなってしまったので、とりあえず再訪すると告げてベースキャンプへと戻った。

16時からの予定だが、既に30分近く遅刻していた。それにも関わらず、U氏、そして石川県から水漁に派遣のN氏から開始時間を訪ねるLINEが...

遅れメンバーで徒歩2分の新来軒へ。村上市議主催の派遣職員懇親会、もとい「大衆食堂の会」会場へ。ありえないくらい大量の料理が机を埋め尽くしていた。
 個々人の自己紹介などが行われたが、宴の最中に鹿児島のk氏が花火を撮影にと離脱する。今日は南町紫市場で鎮魂の花火が上がる予定だった。

ひとまず一次会が終了し、O氏と宅配便窓口に向かってから、2次会会場のあみいというカラオケボックスへ。「ドンっ」という音とともに、港の方角に花火が上がるのが見えた。そして、密集したボックスになだれ込む。
 終わりなき宴となりそうな気がしたので、O氏が機転を利かせたメッセージを発し、こっそりとベースキャンプに戻ることに。荷物が減ってスペースの空いた自室にて、k氏、K氏、N氏、U氏、W技師、そしてO氏とともに3次会となる。以前送ってもらった而今を開ける時が来た。
つまみはいちご
こういった会も、もっと早くやっておけばよかったと後悔する。四方山話に花が咲き、そして余は更ける。

2015年3月20日金曜日

#784 決する日

気温も低く、天候もイマイチな朝を迎える。三寒四温とはまさにこのことか。いつものように準備して、いつものように出勤する。

今日も引継書の作成を続ける。どんどんボリュームが増えていくのに、本当に終わるのかどうか不安になってくる。
午後、Nという施工箇所のコンサル氏と打合せとなる。今回も引継ぎを兼ねているので、T班長、N技師、F氏を交えて行うことに。工法の見直しについて議論が白熱する。改めてボーリングコアを提供し、再度検討を加えてもらうことになった。

多くの都道府県で、今日が来年度の異動内示が行われる。宮城も例外ではなく、三重、そして兵庫も。一足先に、自分の内示が電話にて行われた。自らの希望が叶えられ、感謝する。合わせてK氏も内示が行われた。3番目に希望していた部署だそうで、やや内陸の街にある事務所に決定した。

16時半を回ってから、ようやくプロパー職員の内示が始まる。ある程度予想が出来ていたもの、予想外だったもの。約半数の職員に内示が出されたが、そこは悲喜こもごもだった。予想外だったのは、W技師の異動...

業務終了後、班の懇親会へ。さんぽで1次会、そしてなんとなく2次会にという雰囲気になり、カラオケボックスへと向かうことになった。2年間通じて最初で最後となってしまった班の懇親会。企画してくれたN技師に感謝するが、もっと早くやっておきべきだったと後悔もした。
普段、金曜日は皆帰省するために、この日に懇親会がセットされるケースはほとんどない。月一でもいいので、こういった場が設けられることを期待しよう...