その後、磯津漁港に出向き、大学の友人Y井が紹介してくれた水質調査のバイトに臨む。自分を含め、3名のスタッフで漁船に乗りながら、大きな体の大阪から来た社員の方が、自宅の安否を気遣っていた。晴れていたが風が強く寒かった。昼食は港屋で味噌煮込むうどんを食べた。3玉まで値段が変わらないので、自分は1玉、小柄な社員さんが2玉、大阪の社員さんは3玉食べた。
宝塚に住む、悪友Tの安否がとても気になり、公衆電話から何度もかけたがずっとつながらなかった。Tの実家に電話してみると、ご母堂が無事だと教えてくれた...。この時、自分はまだ防災やボランティアに何の興味も示していない時代だった。
と、今日は研修所で朝を迎える。当然だがディレイとか許されないので、着替えをしない状態で食堂に向かう。朝食はバイキング形式で、ごはんと味噌汁、サラダ、納豆と、いつもよりボリューミー。研修所の食堂運営はシダックスが行っているそう。
部屋に戻り片づけをする。個人が掃除をするルールになっており、コロコロが備え付けられていた。しかし、どう見ても自分の10倍くらいある長さの髪の気が張り付くのは興ざめだった。
今日はグループワークを行うことになるので、ひとまず大きめの教室に集まって説明を受け、別室に移動し班ごとに討議となる。自分の班は、仙台土木のS氏(兵庫)、仙台NNの同郷O氏、東松島氏のMさん(熊本)、森林整備課のI氏(徳島)、気仙沼土木のY技査(北海道)、仙台市のO氏(京都)、文化財保護課のO氏(埼玉)、東部NNのN氏、そして河川課のプロパーK主任主査の10名。
簡単な自己紹介や業務内容の説明を行う。東松島市のMさんが、建築工事が一向に前に進まないことに頭を抱えているという話が合った。正攻法の攻め方についてプロパー職員から説明があり、自分はちょっと異なるアプローチを紹介した。
場を盛り上げるため、少し爆弾を投下する。この話を聞いた班員は、たぶん自分の職場は恵まれているな、と思ったはずだ。
引き続き、宮城のいいところ悪いところを言い合う。グループウェアの積極的な利用が評価されていたが、それは間違いなくルールを厳格に守る宮城の県民性によるものだ。他にも、決裁手順など良い点が挙げられた。しかし、改善すべき点もかなり意見が出、自分も相当辛辣なことを言ってしまった。
宮城で訪ねたことのある場所を各々が紹介したり、気仙沼への来訪回数チェックを行ったりしたら、「宮城の方って、自分の県の観光地じゃなくて、他県の紹介ばっかりしますよね(笑)」と、これまた辛辣な意見が出る。自分の良さはなかなか自分では気づかない。
東部のO氏と共に昼食を摂る。Bランチが食べたかったが売り切れていたのできつねうどんに。しかし、後から入ってきた人が、軒並みBランチを食べている。なんだろう、予約していたのか...
午後、発表会となる。A班から順メリハリなくに淡々と進められてしまい、拍子抜けする。隣席のNNのH氏の姿が見えない。他の方に聞くと、ご家族が危篤になったため、急きょ帰郷されたとのこと。遠くに住むと、こういった時に圧倒的に不利になる。
受講終了後にアンケートを記載する。いつもなら何も考えずにサラッと記入するのだが、今回はびっしりと書き込む。かなり厳しい内容も書いた。今の自分のポジションから考えると、歯触りのいい言葉で飾っておくべきだったが、次回にはぜひ反省してほしいので、あえてきつく。
利府と石巻で人をおろし、行きと同じルートで帰還する。途中ガソリンが少なくなってきたので、前から気になっていた歌津のスタンドに寄る。やはり、店内には津波襲来時やその後の写真が掲示されていた。店員さんと少し話をしてからさらに北上する。
道路事情が芳しくなく、気仙沼市役所に到着したのは18時を大きく回ったころだった。
気仙沼市では都市計画マスタープランを新たに整備する予定で、現在は地区懇談会の開催やパブリックコメントの募集を行っている。今日は自分の住む地区も含まれる懇談会がある。
気仙沼市の中心部を含むエリアが対象で、参加者は30名程度で、皆熱心に、説明を聞きつつ、資料に目を通していた。
気になる質問は、歩道の拡幅や温暖化による海面上昇への対応、防災教育など多岐に渡ったが、皆さんよく考え、整理されており、熱意を感じることが出来た。
懇談会終了後、久々に横丁のまぐろ亭を尋ねる。冬場と第18共徳丸解体で一時に比べると客足が遠のいてしまったそう。
岐阜に住んでいたこともあるマスターと、サンガイアのCMやしるこサンドなど、東海ネタで盛り上がる。そしてマスターに1号機を見せ、ベースキャンプへ戻った。