天気も良く、涼しくて爽やかな三陸の朝。第十八共徳丸を見て、陸前高田へと向かう。明確に遺構が残されているこの街は、被災地を初めて訪れる人が理解を深めるにふさわしい。
市街を通り抜け、45号線に戻ってからタピック45へ。
防潮堤高さの表示板の案内 |
元三重県の職員で、今は岩手県山田町の職員として勤務されているS氏。まさかこの場でお会いするとは思っていなかった。お互いを知る悪友のTにメールを送っておく。
引き続き、奇跡の一本松へ。リニューアル以降は初めて訪問する。遊歩道は舗装され、簡易なLEDライトが設置されていた。
遠方から見ると樹冠に若干の違和感を覚える程度だったが、近づいてみると、幹の表面の風合いは残念ながら人工物そのものだった。
一本松の周辺は、防潮堤の整備と思われる工事が行われていた。
駐車場に戻ってみると、数台のワゴン車が物販を行っている。ゆめちゃんストラップと木札を買い求めた。
今まで幾度となく前を通り過ぎていたが、こういった取組が行われていないことを疑問に思っていた。また、知人の中にはこの場で募金をしたらいいのにと話す方もいるが、一方偽物は見ることも辛いと話す方もいる。
一本松の修復については、賛否が渦巻いている。しかし、陸前高田への集客を担っているのも事実である。名実ともに復興のシンボルとなることだと思う。
星石油店で給油し、唐桑半島ビジターセンターへ向かう。
星石油店にある一本松展望台 |
高所移転の建設現場 |
漁火パークで景色を眺めた後、気仙沼横丁経由で南町紫商店街へ。あさひ鮨で復興スペシャルを食べ、必要なものを調達。そして、ベースキャンプまで送っていただいた。
少し疲れたので横になっていたら、揺れとともにスマホが激しく鳴動する。ゆっくりとした長めの強い揺れ。4月以来の大きめの地震だった。幸いにも津波注警報は発表されず、少し落ち着いてからFBへの「安」情報の投稿や、気遣ってくださった複数の方々に返信をする。
しばらく横になり、久々に3号機で出撃する。H先輩から、お世話になっている方々に配るようにといただいた笹井屋のなが餅を、菅原先生と気仙沼の母にお渡しする。
市内を南下し、階上(はしかみ)へ。明治三陸地震津波以降に、国道45号線から地福寺までの間は新たな街づくりが行われた場所がある。周辺を見た感じでは、若干の浸水はあったかもしれないが、津波による家屋の倒壊などは見られなかった。
45号線までまっすぐに伸びる道 |
地福寺 |
右の赤い線は防潮堤の高さ(TP+9.8m) |
クルマで走っていると通り過ぎてしまう |
三島地区の犠牲者を追悼する碑 |
津波で被災したホームと、赤さびたレールが切ない |
「風越の七里塚」と呼ばれる場所で、登米から伸びている西郡(にしこおり)街道と、仙台から岩手県気仙地方を結ぶ東浜街道の合流点。
この木何の木風 |
南側からアプローチしてみる。周辺にはたくさんのサーファーが訪れていた。そして、かつては「南三陸シーサイドパレス」と呼ばれるレジャー施設があった場所も、ほぼ水没した。
ずいぶん前に廃業していた施設の遺構 |
サーファーによるサーファーのための看板 |
国道45号線の仮橋 |
気仙沼線の陸前柳津~本吉間の開通は1977年。岩手県の三陸鉄道は1984年。前者はBRTとして仮復旧したものの、鉄道としての再開は未定。後者は来年4月には全線復旧。
明治三陸地震津波以降、地元から熱望されて、長い年月を費やして開業した三陸沿岸の鉄道。国鉄として開通したほうが良かったのか、第三セクターとして開業したほうが良かったのか...
そして、復興に必要とされている鉄道と道路も、21世紀の今は明暗を分けている。
同じ気仙沼でも、沿岸部と内陸部では様相が全く異なる。秋のような涼しい里山を眺めていると、被災地にいるとは思えない。
ちなみに、あじさいがまだ咲いている。
夕食は久々のまるきへ。先日は臨時休業していたが、豪雨の影響だと伺った。ベースキャンプからそれほど離れていないが、僅かな差で床上浸水になってしまったようだ。
あっさりおいしい中華そば |