2013年8月4日日曜日

#191 Crossover Kesennuma Vol.3 -明と暗-

なぜか3時ごろまで眠ることが出来ず、起床したのは集合時間10分前だった。猛ダッシュで準備して出発、H先輩とK君と合流する。

天気も良く、涼しくて爽やかな三陸の朝。第十八共徳丸を見て、陸前高田へと向かう。明確に遺構が残されているこの街は、被災地を初めて訪れる人が理解を深めるにふさわしい。
市街を通り抜け、45号線に戻ってからタピック45へ。
防潮堤高さの表示板の案内
しばらくすると、三重ナンバーのクルマが入ってきた。珍しいな...と思っていたら、少し見覚えのある方が降りてこられる。声を掛けてみたら、やはりご本人だった。
元三重県の職員で、今は岩手県山田町の職員として勤務されているS氏。まさかこの場でお会いするとは思っていなかった。お互いを知る悪友のTにメールを送っておく。

引き続き、奇跡の一本松へ。リニューアル以降は初めて訪問する。遊歩道は舗装され、簡易なLEDライトが設置されていた。
遠方から見ると樹冠に若干の違和感を覚える程度だったが、近づいてみると、幹の表面の風合いは残念ながら人工物そのものだった。
一本松の周辺は、防潮堤の整備と思われる工事が行われていた。

駐車場に戻ってみると、数台のワゴン車が物販を行っている。ゆめちゃんストラップと木札を買い求めた。
今まで幾度となく前を通り過ぎていたが、こういった取組が行われていないことを疑問に思っていた。また、知人の中にはこの場で募金をしたらいいのにと話す方もいるが、一方偽物は見ることも辛いと話す方もいる。
一本松の修復については、賛否が渦巻いている。しかし、陸前高田への集客を担っているのも事実である。名実ともに復興のシンボルとなることだと思う。
星石油店で給油し、唐桑半島ビジターセンターへ向かう。
星石油店にある一本松展望台
高所移転の建設現場
センターでお二人に津波体験館を見学していただく。屋外では海産物の無料バーベキューを行っていたが、広報けせんぬまに掲載されていたからかかなりの賑わい。あっという間に売り切れてしまった。
漁火パークで景色を眺めた後、気仙沼横丁経由で南町紫商店街へ。あさひ鮨で復興スペシャルを食べ、必要なものを調達。そして、ベースキャンプまで送っていただいた。

少し疲れたので横になっていたら、揺れとともにスマホが激しく鳴動する。ゆっくりとした長めの強い揺れ。4月以来の大きめの地震だった。幸いにも津波注警報は発表されず、少し落ち着いてからFBへの「安」情報の投稿や、気遣ってくださった複数の方々に返信をする。

しばらく横になり、久々に3号機で出撃する。H先輩から、お世話になっている方々に配るようにといただいた笹井屋のなが餅を、菅原先生と気仙沼の母にお渡しする。

市内を南下し、階上(はしかみ)へ。明治三陸地震津波以降に、国道45号線から地福寺までの間は新たな街づくりが行われた場所がある。周辺を見た感じでは、若干の浸水はあったかもしれないが、津波による家屋の倒壊などは見られなかった。
45号線までまっすぐに伸びる道
地福寺
3号機でしか走れないような隘路を通り、沖ノ田の海岸が見られる高台へ。
右の赤い線は防潮堤の高さ(TP+9.8m)
市内で唯一L1防潮堤の工事が進んでいる場所へ。押し寄せる波濤が、海の工事の難しさを垣間見せる。
大谷海岸を海側から眺める。
45号線に出て、前から気になっていた三島復興の丘へ。丘の上にはお地蔵さんと追悼の碑が建立されている。
クルマで走っていると通り過ぎてしまう
三島地区の犠牲者を追悼する碑
45号線を南下し、JR気仙沼線の小金沢駅へ。海がチラ見出来る素敵な駅だったかもしれないが、今は朽ち果てていた。
津波で被災したホームと、赤さびたレールが切ない
途中45号線から脇に逸れ、海側の道を走っていると、大きな松の木に出くわした。
「風越の七里塚」と呼ばれる場所で、登米から伸びている西郡(にしこおり)街道と、仙台から岩手県気仙地方を結ぶ東浜街道の合流点。
この木何の木風
そして、小泉海岸へ。美しかった海水浴場は一変しており、海岸線は大きく後退している。
南側からアプローチしてみる。周辺にはたくさんのサーファーが訪れていた。そして、かつては「南三陸シーサイドパレス」と呼ばれるレジャー施設があった場所も、ほぼ水没した。
ずいぶん前に廃業していた施設の遺構
サーファーによるサーファーのための看板
国道45号線の仮橋
海岸線を離れ、少し内陸を走る。三陸道の建設が進んでいる横で、変化のないJR気仙沼線。
気仙沼線の陸前柳津~本吉間の開通は1977年。岩手県の三陸鉄道は1984年。前者はBRTとして仮復旧したものの、鉄道としての再開は未定。後者は来年4月には全線復旧。
明治三陸地震津波以降、地元から熱望されて、長い年月を費やして開業した三陸沿岸の鉄道。国鉄として開通したほうが良かったのか、第三セクターとして開業したほうが良かったのか...
そして、復興に必要とされている鉄道と道路も、21世紀の今は明暗を分けている。
同じ気仙沼でも、沿岸部と内陸部では様相が全く異なる。秋のような涼しい里山を眺めていると、被災地にいるとは思えない。
ちなみに、あじさいがまだ咲いている。
夕食は久々のまるきへ。先日は臨時休業していたが、豪雨の影響だと伺った。ベースキャンプからそれほど離れていないが、僅かな差で床上浸水になってしまったようだ。
あっさりおいしい中華そば