2013年8月8日木曜日

#195 表面化する動き

若干すっきりしつつも、若干疲れが残った朝を迎える。若干湿度は高いものの、気温は低め。これが三陸の夏なんだ...

メールのチェックなどを行ってから、A総括と安全パトロールに向かうため、一路南三陸町役場へ。車内で最近のもろもろや昨日の出来事などを報告する。

役場で労働基準監督署、土木事務所、水産漁港部、役場建設課のメンバーが集合し、ミーティングを行ったうえで道路、漁港の順に現場を回ることに。自分の担当する現場は今回は該当しなかった。

最近突然の豪雨に見舞われる機会が多いため、歌津の道路工事現場では、その管理や保全に苦労している様子がうかがわれた。地の利のない施工業者のため、万が一の事態がないことを期待して一言伝える。災害は地震や津波だけではない。

引き続き、志津川漁港の復旧工事現場へ。こういった防波堤の工事は、おそらく生涯で手掛けることはないだろうが、その規模に驚き、また施工手順や工法に興味が尽きない。同席している土木事務所のO技術次長の豆知識がとても勉強になる。土木のベテラン技術者は多岐に渡る知識を有しており、一言一言に重みがあって、ついそば耳をたててしまう。
長い防波堤
潮汐の影響を受ける部分のみ錆止め塗装
予想以上にスケジュールが押してしまい、少し遅めの昼食となる。南三陸さんさん商店街での志のやで鶏天丼を食べる。
隣接する空き地に、いつの間にかポータルセンターなる建物が出来ていた。中では子どもたちを対象のワークショップが開催されていた。
引き続き、志津川の河川工事現場へ。先日の豪雨で現場はかなり損傷したようだが、それを十分に取り返すことの出来るペースで作業が進んでいたし、熱中症対策も適切に行われていた。三重とは5℃以上気温が違うが、暑さへの順応性は、住んでいる環境で大きく変わってくる。
暑さ指数(WBGT)も表示可能
最後は、戸倉の道路工事現場へ。前回の指摘事項が適切に改善されていた。
ミーティングを終え、帰路に就く。途中、スマホがポケットの中で振るえた。A総括には、緊急地震速報を受信した場合は、マナーモード中でも音がなるという話をした。

合庁に到着し、スマホも見ると「緊急地震速報で揺れず」というプッシュ通知があった。奈良県を中心に誤って緊急地震速報が流れたようだ。その情報を目の当たりにしていたら、相当動揺したと思う。誤報は良いとは言えないが、訓練としては良かったのでは?と思った。

業務終了後、大型ショッピングセンターでパック寿司を購入し、帰宅。溜めてしまっていた洗濯をし、溜めてしまっていた新聞を読む。

今日の三陸新報には、JR気仙沼線のルート変更案について書かれていた。まだ復旧の具体化はしていないものの、危険な箇所や新たな街づくりでルート変更が必要な個所の明示がされたことは明るいニュースだ。個人的には鉄路の復旧を熱望しているので...

そして、7/25と8/1の東海新報には、気仙人物列伝として、大船渡市三陸町吉浜の復興に尽力した新沼武右衛門と柏崎丑太郎のことが書かれている。私財をなげうって宅地を買収して農地にし、高台移転を進めた偉人である。

特に、柏崎丑太郎の記述が興味深い。昭和三陸地震津波以降、高台移転を半ば強制した事に、住民からの反発もあった。それに対し、
「きょう、あした褒められることは誰にでも出来るが、津波はまた来る。評価は何百年後の人がしてくれる。」
と述べている。
事実、東日本大震災で吉浜の出した答えは文句のつけようがない。柏崎丑太郎の言葉は、今、ようやく「正解」の答えが出た。
気仙沼線の記事に並び、三陸新報には、防潮堤に関する知事と市民代表の対話の結果が平行線だったという記事も載っていた。ふと、村井知事の言葉が頭に浮かんだ。
「100年後にあの世にいて、『あのときに堤防を造っていればこの人は死ななかったのに』と思いたくない。」