昨晩組立が中途で終わってしまったドローン、結局精密ドライバーが必要な場面に出くわしたので、大型ショッピングセンターに今日も出向くことに。
諸々買い出しを終え、クリーニングを回収して帰路に着く。気仙沼の母の元へ立ち寄るが、先客が見えたので一旦ベースキャンプへと戻り、1時間後に向かう。
途中菅原先生に会い、「昼飯食べていきなよ」と誘われるが、時間の都合からお断りすることに...
頭を切ってもらいながら、母と話をする。親族にご不幸があったようで、2日店を閉められていたとのこと。月曜日に開いていた理由を理解する。
頭が寒くなってしまったが、自分が望んだのでやむを得ず。新来軒で昼ご飯を食べていたら、もう時間が無くなってしまった。
1号機に乗り込み、気仙沼駅へ。BRTに乗って北からやってきた、何度も訪ねてくれているN先輩と合流する。
リピーターに街を案内することは難しい。「変化したところを見たい」というN先輩は、南郷の災害公営住宅をリクエスト。工事の邪魔にならないように周囲をぐるりと一周する。
特にあてもなく南三陸へと向かう。登米沢の防集団地には、新たな住宅に加え、生活のが営まれている様子が覗えた。
45号線を南へと向かい、田ノ浦から津波記念碑や災害公営住宅などを案内しながら、名足へと抜ける。
馬場(ばんば)にある、W技師から教えてもらった「かなっぺ」というカフェに向かう。少し高いところにあるためか電気が消えているように見える。閉店覚悟で立ち寄ってみたら、幸いにも開いていた。1号機のTRCを作動させながら急坂を昇り、トレーラーハウスの店へ。
眺めはとてもよい |
クレームブリュレ加熱中 |
パンもおいしい午後のひと時 |
震災のこと、震災後のこと、いろいろ話を聞く。
奥様が「この地域は物々交換が根付いていて、お金を使うという文化がない。それをこの地域に広めたい」と仰っていた。
普段、サービスの対価にお金を支払っている生活をしていると、確かに違和感を感じる。魚の代わりに野菜をもらうといった暮らしは、ある意味魅力的でもあるし、この地域の文化なんだと思う。しかし、その風習が外部からの移住者を阻み、この地域の低賃金を招いているとしたら、残念ながら未来はないかもしれない。そういった場所で風穴を開けるのが、奥様のような「外」から来た人たちなんだと思う。
辺りもすっかり暗くなってきたので、店を後にする。泊崎半島をぐるっと回っていると、眼前に美しい夕焼けが広がる。
三陸は何処も美しい。しかし、その見慣れた風景も、時折また違った表情を見せる。
45号線で気仙沼へと戻る。そして内湾のイルミネーションへ。
夜は呑んべで懇親となる。思い出話だけでなく、これから何ができるのか、何をやっていくべきなのか。話は一向に尽きなかった。
いつの間にか時計は23時前を指している。たっぺになった道をツルツルしながら、ベースキャンプへと戻った。