ほぼ満員の乗客を乗せて、拘束を快適に進む。渋滞もなく、ほぼ1時間30分で五条京阪バス停に到着する。
目的地まで2㎞ほどだが、ちょっと寒かったので、京阪に1駅だけ乗る。
祇園四条で下車し、商店街を歩く。観光客を多数見かける京都の街は、外国人向けの表記に溢れていた。
目的地のかばん屋へ。
今使っているカバンも破れてしまい、カメラも入れられるカバンを求めていた。ネットである程度目星をつけていたので、カメラを入れてみたり、実物を確認する。
店内をうろついていると、偶然にも三重のF先輩一家とばったり。世の中の狭さを感じるとともに、三重と京都の近さも感じる。
買い物を済ませ、少し街を歩く。
コーヒーショップで時間を潰してから、友人と合流し神戸へと向かう。久々の阪急電車が楽しかった。梅田駅で神戸方面の電車に乗り換える。
阪急梅田的光景 |
日本でも最大と思われる頭端式ホーム群 |
美しいマルーンの車体 |
遅めの夕食を摂ろうと、友人がお勧めする「珉珉」という中華料理屋へ。
高架下の「アンダーグラウンド」な雰囲気の店だが、何を食べても美味しかった。自分では選べなかったし見つけられなかったと思うと、良い発見だった。
神戸は様々な要素が凝縮された街と思う。高架下のカオスな雰囲気、おしゃれさと高級さ。
ゆっくりと、ルミナリエ会場に向かう。点灯予定時刻まで1時間ほどあったが、会場周辺には人がかなり集まっていた。幸いにも風は強くなく、少し待つことに。
車道が通行止めとなり、人があふれる。既に視界に入っているだけで気仙沼の人口を上回っているのではと錯覚する。そして、当たり前だが、回りの皆が関西弁を話していることに驚く。
まだ空が薄明るい中で、「しあわせを運べるように」が会場に流れ、歌の終了とともに点灯...と思いきや別の曲が掛ったので、あちこちでツッコミが入る。さすが関西...
そして、点灯。
大混雑だったので、早めの店頭となる。薄暮なのではっきりと見えなかった。少し列からそれ、グッズや宝くじを買い求める。こういったものの売上が来年度の開催につながるとのこと。
しばらくして、辺りが暗くなる。
来年1月17日に阪神・淡路大震災から20年を迎える神戸。そして、震災の年から始まった神戸ルミナリエは、今回で20回目を迎える。どうしても、今年この時に見てみたかった。
神戸と気仙沼を考えてみた。世界有数の都市でもある神戸は、その復興を多くの人から望まれたと思うし、神戸が復興しないと、生活だけでなく経済と言った面で困る人も多い。もちろん、被災の規模は東日本大震災と比較にはならないが、そのスピードは驚くほどだった。望まれた復興の裏には、悲しい思いをしている方も沢山いるだろうし、まだ解決していない問題もあるだろう。
一方気仙沼。世界から被災地の復興が望まれていることは知っている。しかし、それは気仙沼だけの話ではなく、被災地全体に向けられているものである。3年9が月経っても、市街地のど真ん中に何もできていないというのは、見るからに復興が遅いと思われるだろう。ただ、今までの教訓を生かして、一歩ずつ前に進んでいることは確かである。
それぞれの街が、身の丈に合った復興を行った、そして行っている結果が、神戸であり、気仙沼なんだと思う。
絆と交流ゾーンに向かうと、気仙沼のブースが!思わず駆け寄る。
運営されていたのは、岡本の商店街の有志の方々。話を聞くと、震災以降に田中前の商店街と連携し、物産の販売などで支援をしているとのことだった。また、今は椿を使った商品の開発を行っているようで、大島にもつながりがあるとのこと。名刺交換し、またお越しの際はお声がけを...と伝える。
南三陸町 |
メッセージボード |
華やかな神戸の街 |
鐘をならす人々 |
梅田駅近くにある、友人が昔バイトをしていた店へ向かう。「こなもん」を激しく熱望していた自分のためのお好み焼き。
もう1件カフェに立ち寄り、終電の時間が迫ってきたのでお別れとなる。梅田駅前の交差点では、青になる前に渡り始める人が沢山いる。仙台では決してありえない光景だった。
京都、神戸、大阪。それぞれ歴史、文化を持つ3つの街を、30分足らずで行き来できること。全国でも稀有な、不思議な、そして魅力ある地域である。
環状線で鶴橋へ。御座候で大判焼きを買ってから最終の特急に乗り込む。今日は8両編成全席満席。立客も見られた。