まず、大型ショッピングセンターへ。カードをいつどこで紛失したかは知っているので、まず文具売り場へ。引き継ぎのメモも残っていないとのことで、サービスカウンターへ案内される。
サービスカウンターの担当氏が提示した拾得物の中に、見覚えのあるカードが入っていた。身分証明書を提示し、拾得物台帳に署名をする。そこには、文具レジの担当氏の名前も書かれていた。
カードを忘れた自分が一番悪いのだが、昨日問い合わせた時点で「ない」と回答されたことにはいささか疑問が残る。念のため、カードの利用停止をしておかなくてよかったと胸をなでおろす。
フードコートでたこ焼きを買い求め、市立総合体育館「ケー・ウェーブ」へ。
大相撲力士会が寄贈した土俵も、間もなく完成を見る。
とても立派! |
絵本っぽい |
タンポポ |
まだツクシ |
建物の一角に、キャノピーと呼ぶにふさわしい展望台があり、穏やかな里山の風景が楽しめる。
目的であった、常設展の図録を買い求め、外に出る。
小路をたどって駐車場に戻る。今までに通ったことのない道を選び、合庁へ向かう。畑や田んぼで作業をする方が多く見受けられ、こういった人々の活動にも春を感じる。
ふと、なぜ気仙沼には西向きの高速道路がないのか気になった。岩手には、盛岡~宮古、花巻~釜石と二つの高速道路が建設途中である。
気仙沼は、人口では八戸、石巻に次ぎ第三の都市。宮古はともかく、釜石が選ばれたのは、計画当時の人口(約6万人)からだと推測できるが、その時点では唐桑町、本吉町合わせて10万人。一ノ関からの距離が短すぎるのか、遠野を有する釜石方面とは違い、沿線の人口が少なかったからか...
いろいろ探っていると、市町村の一人当たりの所得という項目を見つけた。何気なく全国ランキングを探してみると、上位の東京や芦屋市などは別格として、意外にも北海道の猿払村が意外すぎる位置に食い込んでいた。さらに探ってみると、漁業資源が枯渇し窮地に追い込まれていた村が、ホタテの稚貝放流+資源管理で復活を遂げ、今や人口流出さえ止まっていることが分かった。
この中で、三重大学の勝川先生のサイトに当たった。以前から資源管理の必要性を熱心に説かれている方で、気仙沼でも講演をされたことがあり、テレビでも放映された。
奥尻にも触れられており、漁業という視点から復興は失敗していると書かれていた。共感できる部分、できない部分、両方が読み取れた。
合庁では、建物全体で何名かが仕事をしているようだった。書類とパソコンと向き合うが、静かな職場でも、時間の割にあまり生産性は上がらなかった。明日以降の準備をして、合庁を後にする。
4度やってきたN先輩と合流するため、東新城にある新しいホテル、アコモインへ。その後、ベースキャンプに近い「磯や」で懇親会となる。
被災地の今のこと、これからの三重のこと、それぞれが担っている役割のこと...話が尽きることはなかった。秋にはN先輩ツアーで気仙沼に多くの方々が訪れるかと思うと、胸が高鳴る。昨年度もたくさんの方に訪ねてもらったので、今年も同じようになることを期待する。自分の時間は別途捻出することにしよう。
少し物足りないので、2次会は2ndへ。N先輩はラックにチェーンが掛けられ、ボトルが転倒しないようにしてある仕組みに興味を示していた。震災の教訓と思われるが、普段は地震がほとんど起こらない三重で、こういった文化を根付かせるのは至難の業かもしれない。気仙沼でも様々な教訓が失われてきているので、なおのことだろう。
明日のことを考え、早めにお開きにした。再会を祈念して、ベースキャンプへと戻る。