このメンバーで勤務するのも今日が最後となる。相変わらず静かな職場だが、他の部では異動にともなう残務処理などで朝からガサガサしている。時折廊下ですれ違う方から、「今日で最後ですか?」と声を掛けられるが、いえ、まだまだこれからなんです!
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紀伊半島大水害の被災地だった熊野にいたときは、副知事がわざわざ執務室まで足を運び、職員を労いに来られたことがある。しかし、気仙沼に1年いて、林務のK次長はお越しいただいているが、他の幹部を見かけたことはない。自分が不在のタイミングで来庁されているかもしれないが...
物理的、心理的な距離感が、震災の「忘却」を進めているのかもしれない。
離席している時に来客があったと伝えられる。しばらくして再訪してくれたのは、市役所の派遣のK氏だった。1年では物足りないとこぼしていたが、伊那は近いので、また名古屋辺りで再開しようと伝える。
引続いて、自所属での離任式があった。T部長、A総括、K総括、T班長、S技査、坊主のS技査、T技査、そして臨時職員のYさんが離任の挨拶をされる。初めて業務を共に行った宮城のメンバー。西からやってきた不思議な自分のことをどう思っていたのだろうか。支援する側も初めて、受援する側も初めて。この枠組みが成功なのか失敗なのか、答えは簡単には出ないだろう。しかし、生家もさることながら、お互いに得られた経験は、必ず将来の役に立つはずである。
姿が見えなくなっている坊主のS技査を除き、離任者一人一人に挨拶して、職場を後にする。
合庁直下にあるガソリンスタンドは、明日の消費税率変更前の駆け込み需要で賑わっていた。昨日のうちに空いている中で満タンにした自分は勝ち組、とほくそ笑む。
夕食はエスポワールへ。店内ではママがメニューの入れ替え作業に必死になっていった。看板の電気をあえて消灯し、わかっている人しか来店できないようになっていた。
帰路コンビニに寄り、流行に乗り遅れないようにタバコを買い求める。自分の銘柄を買い占めてしまった。
ベースキャンプへ戻り、玄関前でふと後ろを振り返る。今まであったT氏の表札が無くなっているのを見ると、寂しさがこみ上げてきた。