20日に内示を迎えた職場は、先週までとは違った雰囲気に包まれていた。先週はめっきり落ち込んでいたT班長も、今日はいつになく元気だった。
三重や兵庫でも同じ日に内示があり、その後の対応に差があって面白い。三重はかなりシステマチックだが、宮城はもう少しプリミティブ、そして兵庫はさらにプリミティブなやり方をしていた。
異動の際、昔は「嫁入り道具」と呼ばれる一式を渡されていたが、最近は物理的にはシンプルになったが、情報システムの管理側からすれば、一大イベントとなっている。
机上に置かれた書類の整理をする。リミット的にヤバい案件もあるので、順を追って一つづつ片付けていく。T氏から、先週来気になっていた技術基準の解釈について答えをもらう。こういった滑らかなコラボをまた一から築かなければならないかと思うと、ちょっと悲しくなる。
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コンクリートブロックの2次製品メーカーの方から、問い合わせへの回答をもらう。ある形状の商品を探しているが、レギュレーションに合致するものがなかなか見つからない。時間の余裕はあるので、何とか見つけられるといいのだが...
業務終了後、T氏に1年の思い出記録を渡す。二人っきりで出かけた機会はそれほど多くはなかったが、意外にも結構なボリュームになった。T氏からは兵庫の観光パンフレットなどを案内してもらう。夏にでも兵庫を襲撃したいところだ。
大型ショッピングセンターでクリーニングを出した後、一路登米市へ向かう。南三陸町に鳥羽市役所から派遣されているM氏の送別会が開催される。登米市の佐沼でかなりの渋滞となり、若干遅刻してしまう。登米は南三陸の復旧・復興の拠点となっているため、多くのクルマが行きかっている。
ホテルにチェックインし、会場の「うまい登米っこ欒(らん)や」へ。M氏とプロパーの建設課I氏、任期付職員で元建設業の建設課U氏が既に集まっていた。
I氏から、震災当日の話を聞く。教育委員会に在席していたI氏は、松原公園付近の事務所で勤務していた。地震発生後は近隣にある津波避難ビルであった町営住宅屋上に、学生などを誘導しながら避難することに。
的確な行動により多くの命が救われ、その後身体に負担のかかる人たちへ、避難者から集めた食料を配分したり、志津川病院へ搬送したり、CH-47の住宅屋上への着陸を見届けたり...震災を経験しているプロパーからの話はどれも貴重だ。
遅れて、漁集事業関連でお世話になっているN氏が登場。南三陸に絡んだたくさんの話で盛り上がった。M氏をはじめ、もっと早くから仲良くなっておけばよかったと激しく後悔する。
結構な時間となり、散会する。今日集まったメンバーは、今後も仕事意外でも密に関わっていくことになりそうである。
M氏とコンビニまで歩いて買い物に。M氏にとっては、南三陸や登米が「第1」のふるさとになっているようだ。
ホテル前で再開を祈念して、別れた。M氏とは、そう遠くない将来、再び顔を合わせることになりそう。それは南三陸でなのか、はたまた鳥羽でなのか...