今朝の三陸新報の一面には、高卒の内定率が100%という記事が乗っていた。職に就くという面では、状況は大幅に改善されてきたのだろうか。
いつものように出勤し、こまごまとしたことを済ませ、大島の現場確認に向かうことになる。しかし天気は不安定で、小雨がぱらついたりしている。H技術主査に言わせると、「自分が大島に行くときは必ず晴れるんだけど…」
メンバーは、H技術主査、S次長、兵庫のT氏、今日の主役である新採のS主事と私。この中に雨男がいるのだろうか。
大島行のフェリー乗り場では、10tダンプやパネルバン、消防関係の車両や電気工事のクルマなど、結構ごった返している。今日の船は「フェリー亀山」。見た目はコンパクトだが、やはり船。すべての車両を飲み込んだ。
地元出身のS主事と初めて話をした。中学校卒業まで大島に在住、地元高校の気高(気仙沼高校、略してけこう)OB。野球好きなで、なんと中日ファンであることが判明した。以前、落合博光記念館で買い求めた日本シリーズ記念誌をみ今日が初めての給料日なので、親孝行するとのこと。なんか、爪の垢を煎じて飲まないといけない気がする。
まずは田中浜へ向かう。偶然、環境省の事業担当者と遭遇する。抱えている課題は似通っている。
S主事にとっては、大島全体が思い出の場所である。大きく変わってしまった景色、そしてこれから変わり続ける景色。地元出身の彼の想いをうまく引き出していきたい。
引き続き、小田ノ浜へ。強風が吹き荒れ、もはや冬としか思えないくらい寒い。パッチを履いてきて正解どころか、もっと厚着をしてこればよかったと後悔する。
ある場所に向かうときは、外になにやら白っぽいものが降っている。え、もう4月も下旬なんだけど…しばし車内待機し、現地へ。S主事の生家に近いこの場所、「あ、そこの奥の家は先輩んち」、「この先の浜ですよね?」と、圧倒的な地の利である。
昼食をすませ、地元の方から確認以来のあった現場に向かう。地盤沈下の影響で、浸食が進んでしまった場所である。今まで自分のやったことのある治山は、岩なり土砂なり、上から落ちてくるものから下の保全対象を守るのが目的だったが、ここは下に落ちてしまうものから、上に載っている保全対象を守るという、逆の考え方である。対策工法としては大きな違いはないが、頭の中を切り替えないと…
島の全容が見られるとのことで、北部にある亀山に向かう。以前はリフトも完備されていたが、残念ながら震災で焼失してしまった。
山頂から眺めは、子供のように感嘆の声を上げてしまう絶景だった。S主事もあまり来ることはないらしいが、他の地方の方々に絶対自慢すべきと忠告する。
気仙沼で生まれ育ったS主事は、今の職場で誰よりも気仙沼のことを知っている。同僚は、全員が震災後に赴任しており、もっとも長くいる方も震災後の9月からである。
S主事は、ここ2年間で大きく人生が変わってしまうような出来事もあったことだろう。彼のイメージする街の未来のことなど、時間を見つけて聞いてみたいと思った。未来は若者の手に委ねられるべきと思う。
金曜日は撤収が早く、いつの間にかH技術主査と最後になってしまった。鍵の返し方などを伺い、自転車で颯爽と…降り切ったところで転倒した。膝を強打し、ズボンには穴が開いてしまったが、大きなけががなくてよかった。
パッチまで貫通… |
夕食は、またしてもこけしへ。野菜不足を補完するため、屋台村横丁のまぐろ亭マスターおすすめの中華飯にする。
永遠に春が来ないのでは、と不安になるような寒さの中、膝をかばいながらベースキャンプへと戻った。