ようやく春らしい感じになってきた。しかし既に出遅れている。身の回りのこまごまとしたことをちゃちゃっと終わらせられず、昼前の出動となる。
日差しは暖かく、風は穏やかだが、やはり少しだけ冷たい。兄から譲ってもらった自転車にのり、一路港へ向かう。いずれ業務で訪れることになるが、予習もかねて気仙沼湾に浮かぶ大島へ。三重にも有人の離島はいくつか存在するが、離島での業務経験はないので、アクセスも含めて下見するという大義名分で...本当はただ行ってみたいだけなんだが。
14:46で止まった時計が掲げられたガソリンスタンド |
うどんを食べたいなと思ったが、あいにくお休み。入口近くにあったおしゃれな「かに物語」に入る。いくつかあるメニューの中から、マルズワイガニのビスクを選ぶ。濃厚なスープといった感じの食べ物。追加でカニいっぱいのコロッケ的なものも。両方とも美味。
横丁の目の前から船は出航する。もともとエースポートと呼ばれるビルのあったところに、フェリーの仮設チケット売り場がある。往復で買い求め、乗り込む。
2012年の新造船「ドリーム大島」は前後対称のデザインで、バリアフリー。掲げられた横断幕には、全国からの応援メッセージがぎっしりと書き込まれている。
こういう眺めが好き |
カモメが並走 |
島の情報収集を行うため、観光協会で地図を入手する。同じ建物の2階にある展示スペースも覗くことに。
震災当日から大島で起きた出来事などが、10数枚のパネルに纏められている。
大島は本土から目と鼻の先にあるが、船以外の輸送手段がないため、震災直後にかなり困窮する事態となった。火災や、送水管に沈没船が乗ってしまったことによる断水、本土側に働きに行っていた方が戻ってこれないなど...
また、「トモダチ作戦」により米軍が強襲艇で上陸、道路啓開にあたったことなど。困った時に来てくれる人ほどうれしいことはない。RDF爆発事故の時に来てくれた緊急消防援助隊のことを思い出した。
島の西側、フェリー乗り場のある浦の浜と、島の東側の田中浜、両側から襲来した津波は、島の中央部で衝突した。岩手県山田町船越や陸前高田市小友と同じように。
360°パノラマ写真 |
田中浜には、環境省が設置した四阿(あずまや)があり、その背後には休暇村に向かうための避難路兼遊歩道が整備されている。
とても強力 |
新鹿、三木里級の美しさ |
朝日新聞の義援金で制作 |
左手の緑の標識。海抜7.2m |
この時期は寂しい... |
松の伐根 タバコの箱に注意 |
島の最南端にある龍舞崎へ。駐車場から遊歩道を歩くと、広がるのは絶景...
5月に三陸復興国立公園へと名称を変える陸中海岸国立公園は、どこもはずれがない。
そして横沼地区にある津波記念石。
途中わき道にそれて、何やら桃源郷のような場所へ。畑仕事をしていた方と少し立ち話をした。4年前に伊勢を訪れたことがあること、津波はまるで映画を見ているようであったこと...
塩害の影響はあまりないのか、ハクサイとダイコンが育てらていた。牡蠣殻が大量にまかれているのが印象的だった。
途中、津波発生時に沖出しに成功し、その後の大島への人員輸送に大活躍した「ひまわり」を見かける。
フェリー乗り場に戻るも、出航まで少し時間があったので、近くの商店を物色、ミニびん玉ストラップや、地元CATV局が制作したDVDなどを買い求める。
そしてフェリー乗り場では、やや大きめのミニびん玉を見つける。前から欲しかったんだよな...
フェリー乗り場で係の方に話しかけられる。三重から来たことを告げると、先日新造船を受領に伊勢に行ったとおっしゃっていた。ステラという焼酎の話とか、少し地元ネタで盛り上がる。そういえば、港の駐車場になぜか三重ナンバーのカローラバンが止まっていたっけ...
ついでに、神棚に祀られたイラストのことを尋ねる。大島神社で頒布されるもので、地元ではどの家でも掲示されているとのこと。海の神様やその年の神様などが描かれている。
少し肌寒くなってきた、夕暮れの浦の浜港を出港する。
made in 三重 |
夕暮れの気仙沼湾 |
店主と話をする。周辺のかさ上げと店の将来のこと、グループ補助金のこと、気仙沼の観光地として必要なこと、あるべき姿などなど。
店主のイメージする未来の観光都市、気仙沼が実現できることを期待して。