2013年4月17日水曜日

#82 油断

今日はこの春一番の暖かさとなる予報に、なんとなくうれしくなるものの、外はやっぱり寒い。

三陸新報の一面には、気仙沼港の岸壁工事のことが書かれている。この街の産業の中心となる場所なので、急ピッチで工事が進められている。確かに、夜も投光器を照らしながら作業が進められていた。

午前中、別の作業に取り掛かる。未経験の業務でかつ、三重でも宮城でもほとんど実務経験者がいないのがネックとなる。ただ、去年の受験が役に立って、言葉の意味さえわからないという事態は回避できているのがせめてもの救い。
非ライブカメラ
午後、S主任技師から引き継ぎつつある現場の、コンクリート圧縮試験に立ち会うことに。南三陸町志津川のプラントまでおよそ1時間。まだ時間と距離の関係がつかみ切れていないので、予定の時間より早めに到着する。しかし、現場代理人のS氏は、きっちりと15分前に到着された。さすが。

志津川の街を抜け、歌津の現場に向かう。志津川の街は、昔はどんな感じだったのかイメージが湧かない。それくらい何もなくなってしまった。中心市街地に残されているのは、少しの建物と、町の防災対策庁舎だけである。
2012年5月撮影の防災対策庁舎
車載の温度計は20℃を指しており、ようやく春らしくなってきた。場所によっては、サクラも満開となっている。
現場に到着すると、ほどなくして代理人S氏がやってきた。今日はべたなぎ。施工方法や、課題などいくつか確認する。「何か困っていることは?」と伺うと、やはり最大の課題は生コンの供給。
熊野にいたときは、災害復旧が高速道路の整備と重なり、需給がひっ迫する事態があったが、この地方はさらに深刻である。プラントの製造能力だけでなく、骨材なども青森から運搬している事態になっている。

今後、三陸道の建設も佳境を迎えることになる。すべてがこの地方の復興に向けた取組だが、どの事業も最優先。仮設資材や重機は比較的需給バランスが取れているが、生コンや人材はかなり不足している。
他、昨年度は派遣職員の交替により、監督が5人入れ替わった現場があるという話など...

帰宅直前、同僚から夕食の誘いが入る。少し遅めの20時前に集合し、当初予定していた店が満席だったので、近所の福幸小町の「より道」という店に行く。ここも満席だったので少し待つことに。
席が空き、林業振興班のM班長、S技術主査、農林振興班のT技術主査、兵庫のT氏でテーブルを囲む。名物の「ハーモニカ焼」や刺身などを注文する。
瓶が倒れないための横桟
M班長から、震災当日は山元町の海岸防災林の現場におり、地震発生後に無事に津波から逃れることが出来たという話を聞いた。津波を意識しなかったが、結果として最適なルートで現地を離脱した。

21時を回ったころだった。激しい揺れが襲う。直後に緊急地震速報が発表され、店内の至るところで携帯電話が鳴動する。緊急地震速報は、その仕組上、間に合わないことがあることは知っている。しかし、なぜか速報を待っている自分がいる。明らかに行動として間違えている。

M5.8の地震だった。気仙沼の震度を確認しようとするも、スマホが再起動を始めた。最悪...
同僚と参集基準を確認する。管内の震度4は参集基準に合致していない。
三重から安否を気遣うメール、LINE、FBメッセンジャーが届いた。遠く離れていても気にかけてくれていることが嬉しい。ただ、本当に危機的な状況だと、返信は大変困難になりそうだ。

正直、いろんな意味で油断していた。しかし、同僚と一緒いたことで不安が大幅に安らいだ。
改めて、自分の行動や備えを確実にしようと思う。