栗原市築館までのルートは、284号線の北回りルートと、登米を経由する南回りルートと2つあるが、284号線は飽きてしまったので、南回りルートで向かうことにする。だが、この選択は間違えていた。
距離と時間を考えれば、十分に間に合う時間に出発したのに、全く距離が稼げない。予定集合時刻5分前で、まだ登米...絶対に間に合わないとT氏に連絡すると、T氏も今しがた到着したばかりとのこと。もう十分わかっているのだが、三重のペースと宮城のペースを同じで考えてはいけない。
結局集合時間に20分遅れて、栗原の合庁に到着した。そして誰もいない・・・
ぽつーん… |
県道42号線を西へ、そしてハイルザーム栗駒周辺から密なコミュニケーションを取って、何とか目的地にたどり着く。以前予習していた甲斐があった。
会場には我々を含めて26名。ほぼ仙台方面からで、栗原市からは5名。
見学場所は冷沢(ひやしざわ)と呼ばれるところで、視界に入る270°位で山腹崩壊が発生した。現在は法枠や床固工を施行したことにより、安定した状態になっている。
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生えている木の大きさと比較すると、相当デカい |
お決まりの記念撮影。樹種は失念... |
引き続き、世界谷地(せかいやち)へ。名称からすると不思議な場所のような気がするが、一体に広がる湿地帯のことを指す。
江戸時代には、湿地を意味する「カヤト」と呼ばれたそうだが、明治以降に「世界谷地」となずけられた。世界の意味として、広いとか、仏教上の意味合いとかが想定されるとうだが、確証はないとのこと。
ブナの林を抜け、第1湿原の入り口に到着。入場前にS技師から説明がある。2年目にしてはとても詳しく説明をしてくれる。後で聞いたら、祖父が植物研究の第一人者で、この湿地もフィールドとしているうえ、栗原市の市花に「ニッコウキスゲ」を選定したという。生粋のサラブレッドだ。
早速、湿地へ。曇り空でうっすらと靄が立ち込め、本当にいい雰囲気である。前を歩いていたT技術主幹からいろいろと植物についてご教示いただく。あちこちに出張っているおかげで、なんとなくあったことのある人が増えてきており、こういう機会にその人の持ち味を知ることが出来る。T技術主幹は、「付け焼刃ですから...」と謙遜されるが、本当に植物にお詳しい。
勝手に宮城の尾瀬と名付ける。 |
ニッコウキスゲ。花は1日で萎れてしまう儚さ... |
お昼は、ハイルザーム栗駒の直下にある「山脈(やまなみ)ハウス」でいわな天丼となる。いわなだけでなく、シドケなど山菜の天ぷらも盛り合わせ。
はみだし気味 |
山脈ハウスは平成元年に開業した日帰り入浴施設で、温泉のほかに食堂が併設、土産物売り場もある。土産物売り場では、前回買いそびれた岩手・宮城内陸地震の記録紙「山が動いた」を買い求めることが出来た。
全景 |
地震の時刻を指したまま止まっている時計 |
拓魂碑 |
行程の説明。自称「なめこ屋」さん |
こののち、参加者に収穫される。 |
菌床から発芽したなめこは湿度100%の部屋で培養 |
収穫目前のなめこ。なめこ好きな自分にとってはたまらない光景 |
いただいた、乾燥なめこの炊き込みご飯、なめこの浅漬け、なめこのおかずゼリー レシピはHP参照 |
直売会場に殺到する参加者のみなさま |
S総括と岩手・宮城内陸地震の話をした。
東日本大震災以降、人々の記憶から消えかけているような気がするが、まだ発災から5年しかたっていない。この地方に住んでいても、口にする機会もなければ、メディアで見かけることもない。しかし、まだ復旧作業は続いている。
こういった活動を行うことによって、仙台などの都市部の人たちも震災を忘れてほしくない。そんな思いが、このイベントには込められている。
参加者の乗ったバスを見送り、一路南へと向かう。4号線をあえて通らず、少し西側のルートを選択する。あいにくの雨で、ただ通り過ぎただけだったが、宮城にはまだまだ魅力的な場所がたくさんありそうだ。
仙台の街に入ると、激しい渋滞に巻き込まれる。仙台は宮城というよりも、仙台という独立した地域のように思えてならない。
宿で少し横になり、夕食を取るために街へ出向く。やはり仙台と言えば牛たんか...有名な繁華街、国分町にある「旨味太助」へ。店内は程よく混んでいる。そして定食1人前を注文する。
まいう~ |