2013年6月5日水曜日

#131 はまらいん

春らしい天候が続いていて、気分が爽快である。しかし、まだ半袖には早い。Tシャツ、長T、作業服と3枚重ねで出勤する。
そういえば、熊野で引越し作業をしていたときは半袖だった。2か月以上季節が遅れている。天気予報を見ていると、宮城と青森が寒い。暑がりの人にはおすすめだ。

職場はワールドカップネタで盛り上がってると思いきや、意外に冷静だった。
少し、直近で担当する予定の、自分の現場の資料を整理する。
当該箇所は、1960年のチリ地震津波後、復旧事業として1965年に防潮堤が整備された。その後1979年にかさ上げが実施され、今回の津波において消波ブロックが飛ばされたり、防潮堤の下部が洗われたりした。今後、L1対応の防潮堤として再整備を行う。

最近は手元のPCなどで、容易に航空写真の閲覧が出来る。GoogleEarthでは、震災数年前から直後、1年後くらいの写真が公開されている。当該箇所は、防潮堤背後に樹林帯と祠があり、震災後は祠の周辺以外の木々は消滅した。残った木々も、塩害によりダメージを受けたために今は伐採された。

国土変遷アーカイブを利用すれば、さらに古い写真を見ることが出来る。終戦後に米軍が撮影したもの、1960年代に撮影されたものなどなど。当該箇所周辺は、終戦直後も集落は見られるものの、道路整備は十分ではなく、今回の津波で浸水したエリアは、田や畑としての土地利用もなされていない。川を挟んで東西に防潮堤が整備されているが、まず集落に近い東側から先行して整備がされている。

業務を通じて、様々な資料を目にすることになる。担当現場という非常にピンポイントではあるが、チリ地震津波以降やそれ以前から今に至る経緯について繙ければと思う。
非ライブカメラ
午後、私の担当業務に関して非常に悲しいお知らせが届いた。この地方では日常的に発生していることとはいえ、自らがその洗礼を受けるとやはりショックである。いろいろ作戦を練って再チャレンジをしていくしかないので、すぐに準備を開始する。ただ、手持ちのカードがあまりないのも事実...

業務終了後、理容コマツに寄り、昨日のY氏からの案件について相談する。うまくマッチングできるといいな…
そして今の季節は日が長いので、ストレス発散に少し3号機で出かける。しかし、濃霧...
安波山(あんばさん)からの濃霧の眺め...
霧の摩周湖ならぬ気仙沼港
天照大神を祀る五十鈴神社
夕食は、久しぶりに横丁へ向かう。まぐろ亭にお邪魔しようと思ったら「準備中」の札。表にいたマスターに声をかけると、「あ、やってますやってます!」と慌てて店に戻られる。マスターともいつの間にやら顔なじみとなった。

いつものように三色まぐろ丼を食べていると、一人の若者が入ってきた。大阪からカブでやってきたという剛の者。言葉、雰囲気、バイクでどこまでも行ってしまう根性。熊野にいたときの後輩を思い出した。
おまけのマグロギョウザ
マスターの観光地気仙沼への想いが語られる。端々に商売人らしい合理性が発揮される。被災地を観光で訪れてくれるのはあと2年くらい、その後のことを真剣に考えなければと仰る。イメージや気持ちだけでなく、具体的なプランが描かれていた。

大阪の若者も交えて、マスターの思い出話やもろもろの話をした。
マスターが「はまらいん」という地元の言葉を説明してくれた。一緒にやろうとか、輪に入ってという意味で、地元のフリーペーパーのタイトルや気仙沼市のFBページにも使われている。実際、杣遊会の総会でも「はまる」という言葉が使われているのを確認している。やわらかい発音と響き、そして意味。ちょっと好きになるフレーズだ。

店を出て、少し大阪の若者と談笑。三陸沿岸では給油に苦労しているとのことで、今もスタンドを探していた。地の利が多少あるので、ベースキャンプ近くのスタンドへ案内する。「また三重で会いましょう!」と言っていた彼の旅の無事を祈りつつ...