2013年6月21日金曜日

#147 KESEN Explorer -家が生まれる-

いつもより、若干早く起床する。今日は休暇をいただき、念願だった気仙地方の林業関係団体を訪問する。

45号線を北上し、岩手県大船渡合同庁舎には約束の時間より少し早く到着した。盛川にほど近いところに建っているが、津波による浸水は免れている。気仙沼の合庁はプレハブでも特に不自由はないが、やはりこういった建物の方が落ち着く。
3Fの農林振興センターにお邪魔し、ご案内していただくO主任主査のところへ。以前意見交換したみなさんとも顔合わせもできた。気仙沼よりも少し賑やかな感じが漂っている。

まずは、陸前高田にある気仙木材加工協同組合連合会(通称木加連)に向かう。竹駒の奥、340号線から少し入ったところにある。
実は、木材加工を行っているところは、学生時代の工場見学、アルバイトぐらいでしか見たことがなく、木材工学の研究室にいたわりには知識がほとんどない。的確な質問が出来るのかどうか不安...

事務室に案内され、専務理事にお話を伺うことに。三重県の林業技師として恥ずかしくない質問を必死で考える。
天皇杯も受賞している木加連は、昭和63年から操業を開始。
取り扱っている樹種は主に気仙地方のスギで、一部は気仙沼の材も扱っている。木加連設立前は、多くの材が宮城県に流れていたが、加工して付加価値を与えることで、この地方にも多くの利益や雇用が生み出されることになった。
また、年間の取扱量は4万m3を超え、地域の事業体や森林組合にとっても安定した供給先になっている。
出荷を待つ製品
出荷先はほぼ首都圏で、最近は仙台方面も多くなってきている。特に人工乾燥に早期に取り組んだことが功を奏し、人気となっている。また、地域の製材業を保護する目的もあって、地元への出荷は殆ど行っていなかったが、震災後の需要の増加によって、若干だが流通するようになっている。
三重県ではあかね材として販促している、スギノアカネトラカミキリによる食害を受けた木材は、集成材として加工し販売を行っている。
スギノアカネトラカミキリの食害を受けた材を活用した集成材
震災後、従業員やその自宅の被災や、通信手段が途絶したことによる営業活動の困難さ、またライフラインの途絶による生産停止、金融機関の停止による障害など多難を極めた。他にも、震災後の職員の離職も課題となったが、施設には大きな被害もなく、現在は震災前と変わらない稼働状況となっている。
場内では女性も活躍している
また、高所移転や三陸道の工事などにより、大量の原木が生まれているが、品質面からそれほど活用できていないのが現状とのこと。
生産ラインは古い機械が多いが、それがまた人の目の品質検査にもなっている
専務によると、羽柄材には絶対の自信があるとのことで、現場の声を大切にした品質管理も充実している。経営側としては、歩留まりを考えると...と思われるそうだが、現場の厳しい目がそれを許さないそうだ。
端材を活用するバイオマスボイラー
最後若干駆け足になるものの、場内をまんべんなく見学させていただいた。
引き続き、けせんプレカット事業協同組合の高田工場へ向かう。

工場は滝の里工業団地の一角にあり、その他食品加工系の工場が立地している。
この最新鋭の木材加工工場の隣接地には仮設住宅があり、被災地の現状を映し出している。

非常にお若い工場長に、場内を案内していただく。工場では、在来工法用、金属接合用、2X4の加工組み立てを行っており、CADセンターでは設計事務所から渡された図面の3D化、部材データの作成などが行われている。
住宅メーカーとタイアップしており、かなりの部材の組立までこの工場で実施されている。また、24年度事業で拡張された設備は、資材不足などからO主任主査の寿命を縮めてしまうくらいシビアだったそう...
柱材加工機は小規模なラインが組まれている。
2X4の組立ライン
断熱材が挟み込まれている。他にもサッシの組付けなど、かなりの加工組立が行われている。
金物が取り付けられた部材
最新鋭の加工ライン
加工用ロボット。もはや製材所ではなく、自動車生産工場のよう!
3DCAD。CADセンターでは多数のマシンとオペレーターが。
開いている会議室を貸出し。中には七夕の飾りが。
こういった最新鋭の工場を見学する機会に恵まれなかったので、見るものすべてが新しく、感心しきり。的確な質問というより、感心するだけで終わってしまった...

昼食は、近くにある未来商店街の鶴亀鮨へ。O主任主査はちらし寿司を、自分は中寿司を食べる。
うまし
午後は、木加連に隣接する、陸前高田市森林組合の市場に向かう。事務所が被災したため、一時はこの施設を利用していたが、現在は建物が完成したために移転している。
木加連の第2工場の左の方に、組合の土場が。不覚にも写真忘れた...
業務課長にいろいろとお話を伺う。職員8名と作業班19名の布陣で、高性能林業機械としてはプロセッサ2台、グラップル10台、フォワーダが5台あり、珍しいものとしてフェラバンチャを1台所有している。

業務として、ここしばらくは高所移転の伐採がかなりのボリュームで入っており、3年程度はこの状態が続くと考えられ、通常の森林整備はひと段落してから進められる予定。今は、丸太が飽和状態になってしまっていること、人材が不足していることが課題とのこと。
また、架線集材は行われておらず、作業道の作設が積極的に行われている。集材システムとしては、チェーンソー伐倒→グラップルなど→プロセッサ→フォワーダとなっている。
あ、師匠からの宿題がまだ手つかずということを思い出した...

搬出された材は、A材でも特に優良なものは市場、その他は木加連へ、B材は石巻や宮古の合板工場へ、C材はチップに利用されており、その割合はA:B:Cが6:3:1となっている。

獣害についてもうかがった。三重と異なるのは、イノシシがいないことと、リスによる原木シイタケの被害。どのような隙間からも入り込んでくるリスはかなりの厄介者。スギの幼木には忌避剤を塗布しているとのこと。

話題が街の復興のことになった。今、この地域の現状を考えると、復旧とか元通りとか言った発想ではなく、遠大な夢のような話が必要なのではないかと。それが、この地方の未来を創っていくかもしれない。

引き続き、けせんプレカット住田工場へ。340号線を走っている時に前から気になっていた場所なので、ようやく念願がかなう。けせんプレカットは平成5年に設立され、当初は住田工場のみだったが、手狭になったために高田工場が新設された。
ペレット製造ライン
ペレットのパッケージ
グレーディングマシン
大工さんの作業場のような、手加工工場
端材をボンドで接合
集成材を圧着
2X4の細かな部材を組み立て
近隣にも木材加工工場が立地しているが、けせんプレカットのような安定的な経営が出来ていないところもあり、町から財政支援を受けている。
O主任主査に言わせると、木加連はけせんプレカットは県内でも非常に優良な事業者とのこと。

住田町では、震災以降の後方支援活動もそうだが、住田型仮設住宅で名をはせている。多田町長の英断が生み出した結果でもあるが、造林、製材、木材加工、建築など、川上から川下まで一気通貫で実行することのできるポテンシャルが、応急仮設住宅というアイデアに結びついたものと思われる。三重だとどこだろう?大台町か、尾鷲市か、はたまた熊野市か...

充実した見学が終わり、齊藤機械店へ。頼んであったチェーンソーを引き取りに伺う。
この店、いつ来ても、おんちゃんたちのたまり場となっている。またそれがいいんだな。
勝手に4号機と名付ける。先日の講習の成果があり、始動方法は頭に入っている。ただ、バーやソーチェーンの取付は、たまっていたメンバーにお願いすることに。4号機はバーが細くかつ薄いので、手を切らないようにとアドバイスを受ける。

一旦大船渡の合庁にO主任主査を送り届け、古巣の大船渡市役所へ顔を出す。
春の人事異動で、建設課のメンバーも大きく変わったが、課長や補佐、ベテランのS技師やO主査、K主査、F主査のほか、市民生活環境課から異動となったY主任など...もうあれから1年以上経つが、まだ覚えていてくれるのが嬉しい。そして、いつ来ても活気のある職場がうらやましい。

引き続き、隣の災害復興局へ。自分がいたときは農林課と水産課が入っていた部屋だが、びっくりするくらいのスタッフで埋め尽くされている。こんなに広かったっけ、この部屋...
建設課でお世話になったU課長補佐、K課長補佐、G課長補佐にごあいさつし、東浦町から派遣されているM氏にも。U課長補佐には気仙沼に異動したことを伝えていたかったので、ちょっとびっくりされる。
M氏と工事の内容についてちょっと話をする。気仙沼で足りないものが、大船渡では余っている。このミスマッチを埋める取組は行われてはいるが、こういう時に、県境が邪魔だと思ってしまう。

そして、市民生活環境課のM主任に挨拶。今年こそは、盛の七夕を見に行きたい!

再度合庁に戻り、神奈川県から派遣されている林業技師、F氏を紹介してもらう。主に林道の災害復旧を担当されており、入札なども比較的スムースに行われているようだ。おそらく、そんなに遠くない将来、気仙沼で合流しそうな予感である。

業務終了後、O主任主査宅で懇親会となる。顔なじみのU主査と県庁のE技師と4名で盛り上がる。
岩手県は宮城県と異なり、震災後の異動延期がなく、すべからく4月1日に人事異動が行われた。久慈から大船渡と、被災地間を移動したO主任主査の苦労は以前もうかがっていたが、気仙沼市内に住んでいることで、その苦労をより一層理解することが出来る。

他にも、震災に関する内陸や東京との温度差に不快な思いをされている。信じがたいが、「もう復興したんでしょう?」と、何も理解していない言葉を投げかけられることもあるそうだ。

話は、江戸時代の藩に及ぶ。真偽は確認してみないとわからないが、青森県職員は津軽と南部で対立が凄まじく、県庁以外では交わることがないとか...
特に、陸前高田出身の雑学王U主査から、伊達藩に住む人たちの心意気を教えてもらった。規則や決まりは厳格に順守する、お客さんに迷惑を掛けたくないから、重い課題は渡さないとか...あぁ、納得...

残念ながら、業務上の接点は今のところないものの、こうやって林業技師同士でさまざまな意見交換が出来るのは、何物にも代えがたい喜びである。