2013年6月12日水曜日

#138 communication+

6月12日は、1978年に発生した宮城県沖地震にちなみ、「県民防災の日」となっている。今日は防災訓練が行われるため、いつもより1時間早く起床し、安否確認のメールを送信する。

梅雨っぽい天候になってしまった。霧雨の中を出勤すると、全身がしっとりとしてしまった。湿度は高いものの、寒くなく暑くなく。執務室は少しムッとした感じなので、一枚脱ぐ。

昨日のミーティングで出た内容の確認も含めて、水産漁港部と打合せを行う。担当は最近顔見知りのY君。事業の進捗は他事業との調整がなかった分、若干こちらの方が早いようだ。ただ、別の一面では水漁のほうが一歩進んでいる。すり合わせが出来たうえに、貴重な情報交換も出来たのでよかった。

そして、担当現場の過去を紐解いてみるため、治山台帳に目を通す。チリ地震津波後に整備された防潮堤に、昭和50年代後半に腹付でかさ上げが行われている。そして今回はL1津波対応の防潮堤へと再整備する。そのようなケースが管内の現場ではよく見られる。

今回の整備は、数十年から百数十年の1回程度発生する津波を防御することを前提としている。適切なメンテナンスが続けられていけば、生命や財産が守られる可能性が高まる。しかし、ハードのもたらす安全性が、人々から津波の恐怖を消し去ってしまうかもしれない。
「なんだ、三陸沖でM8の地震か。これくらいの規模だったら津波が来ても大丈夫だね。」という生活は、ある意味理想である。しかし、ある想定のもとに作られたハードは、その想定以上の災害には時として無力化する。数十年から百数十年単位で伝えなければならかったことが、もっと長いスパンで伝承していく必要がある。言葉、文化、生活、なにもかも異なる1000年後の人たちに、どのようにして伝えていけばよいのか、すぐにアイデアが思い浮かばない...
非ライブカメラ
昼のニュースでは、県庁や気仙沼市での防災訓練の様子が放送されている。今日の訓練で「公共情報コモンズ」による、宮城県から報道機関への情報提供が行われた。宮城県の整備している防災情報システム(たしかMIDORIという名称)で集約された被害情報や避難情報などを、XML(TVCML)で提供し、地デジのデータ放送に載せるというものである。もうこういった業務から離れて長いので、間違えていなければ...

TVCMLの基礎が生まれたのが2005年の愛知万博。こうして今宮城で活用されているのは感慨深い。そして、2003年にリリースした防災みえ.jpでは、システム間の情報のやりとりをXMLで行っていた。リリース前から運用中も含めて、報道機関の方といろいろなやり取りがあったことは、とてもいい思い出だ。皆さん、お元気かな...

自分は直接訓練に参加はしていないが、初動対策要員や派遣要員は、資機材の運用や担当市町への派遣など、それぞれの役割をこなしている。
道路関連の訓練が終わったタイミングを見計らって、土木事務所へ打合せに伺う。期待していたような情報が得られたが、担当氏が訓練終了の意見交換が始まってしまったと声を掛けられたので、速やかに撤収することに。

そして、津の事務所から頼まれていることを説明に、総務部へ赴く。担当のK班長は三重への訪問をかなり遠慮され、別の方を紹介していただく。

業務終了後、一旦ベースキャンプに戻り、いただいた豆子郎を気仙沼の母におすそ分けし、歓迎会会場の「わや」に向かう。
ニューカマーのI氏の歓迎会が始まる。T氏と自分がそれぞれ日本酒を持ち込む。T氏は地元兵庫の「竹田城」と「香住鶴」、自分は先輩から頂いた「白鷹」と友人から頂いた「松竹梅」。自己紹介では、W技師のいつものセリフ「独身ですっ!」に続いて、新採S主事の「独身ですっ!」。というか、S主事はまだ親の同意がいるんじゃないのか?と突っ込んでみる。
食事も進み、同じ班のH技査と話をする。忌憚のない意見交換、なんとなく壁が壊れたような気がする。

二次会は、持ち込み自由の不思議なカラオケ店「ami」へ。臨時職員のOさんとあるミッションを企てる。気仙沼での暮らしも、いろいろ楽しくなってきた。