O氏を見送り、朝食を調達するために盛駅に向かう。三鉄のふれあい待合室のサンドイッチ屋さんに向かうも、残念ながら営業時間は10時。サン・リアに向かい、パン屋さんでサンドイッチを買う。
アジトで朝食を摂り、浜松市のK氏と盛駅に向かう。
同行する三重からやってきたN先輩は、三陸鉄道の試乗を終え、なぜか素足にサンダルという季節にマッチしないスタイルで列車から降りてきた。三重の印象が悪くならないといいが...
これからさいとう製菓中井工場の一角にある「津波伝承館」に向かう。
将来的には建物ができることになると思われるが、現在はさいとう製菓社内のホールが活用されている。ホールでは齊藤賢治専務が出迎えてくださり、管内の紹介をしていただく。
魚の水槽 |
しばらくして、もう一組の来場者があり、語り部(齊藤専務)による映像やパワーポイントを使用した説明が始まる。
以前、同じ映像を見たことがある。非常につらい気持ちになったが、今回も同様だった。また、語り部から映像のより詳細な説明が行われ、津波が目前に接近している場面での人物の存在などを見せられると、とてもいたたまれなくなった。
また、ご自身の震災後のサバイバル生活の説明などもあり、切迫した状況が伝わってきた。
講演が終了し、自然と質問コーナーになった。「防潮堤が・・・・防波堤が・・・」と映像にある声は、語り部のものだった。そこで、なぜあの言葉が出たのか、そして防潮堤の是非について個人的にどう思われているかを伺った。
震災以前、大船渡の街を囲む防潮堤はかさ上げ工事がされていたため、自分の中で安心感や依存する気持ちが生まれており、それが期待になっていたのであのような発言になった。また、防潮堤は住民の依存心が生じることでかえって危険な目になるのであれば、設置しなくてもよいとおっしゃっていた。
津波や高潮から生命や財産などを守るために防潮堤が存在する。裏を返せば、守るべきものがなければ防潮堤は不要となる。今の大船渡で、防潮堤が存在しないとなると、土地利用が大幅に制限されることになる。今の生活と未来の安全。ジレンマを抱えつつ、新たな街づくりが行われていくことになる。
浜松市のK氏を別れ、いつものカレーハウスKojikaへ。同行者をほったらかしにしてしまうくらい、マスターと談笑してしまう。一通りしゃべってから、店を後にする。
N先輩の希望する、さいとう製菓の本店を望むことのできる高台へ。ちょうど映像が撮影された場所である。県道丸森権現堂前線沿いも少し施設が建ちはじめている。
すると、Kojikaのマスターから電話がかかってくる。お世話になっている菅原先生のご子息が来店されているから、とのことで、再び店に戻る。名刺をお渡しし、お世話になりますと挨拶。
再び南下し、大船渡駅や加茂神社、星石油店に立ち寄り、唐桑半島へ。
BRT用に改装された大船渡駅 |
加茂神社にある慰霊碑と葉桜 |
渋滞する星石油店 |
展示室内も配置が変わって、来場者がより閲覧しやすくなっている。そして、津波体験館へ。
以前の本当に怖かった映像から、東日本大震災の被災者の体験談や消防職員の話などが加わり、より啓発色の強いものとなった。
しかし、波の映像とともに椅子が揺れたり、冷風が噴出してくるのは、相変わらずでドキドキする。
N先輩が周囲を一望できるところへとリクエスト。この近辺で希望を叶えられる漁火パークへ。遠くは石巻市の金華山から、大島、広田湾、大船渡市の綾里まで一望できる。
広田湾と遠くに綾里 |
駅前に、風変わりな工法で作られた防潮堤のサンプルがある。この工法のメリットやデメリットは一瞥しただけでは良くわからないが、長きに渡って機能を維持できるものが求められるのは確かである。
広田湾沿いに走ると、破壊された防潮堤を見かける。すべてではないだろうが、岩手県側もまだ手がついていないところが多くある。
半島を半周し、N先輩の念願だった黒崎仙峡温泉へ。ここは距離、値段、施設、景観のバランスが非常によく、お客さんをご案内するにはもってこいである。
タバコを吸っていたら、地元の方に話しかけられる。三重からやってきたと告げると、心底びっくりされていた。大工さんとのことで、いろいろ式年遷宮の説明などをしてみる。これで観光客が一人でも増えたかな...
気仙沼市内に戻り、行きつけの福幸小町にある「より道」へ。相変わらずのボリューム、そして味に満足し、ベースキャンプへと戻った。