GWは各地でイベントが行われているが、この地方も御多分に洩れず、今日は大船渡で碁石海岸観光祭りが、そして唐桑半島ではの唐桑復興まつりが開催される。時間的に掛け持ちが困難なため、最近粘着している唐桑半島ビジターセンターへ向かう。
到着した時は、ちょうど餅まきが終了し、たくさんの来場者が出ていくところだった。紀州ではイベントというと100%餅まきが行われるが、この地方でも同様の文化があるようだ。
ビジターセンターの隣に、昭和三陸地震津波後に建てられた石碑がある。朝日新聞社の義援金で制作されたもので、三陸地方の各地で見かける。「地震があったら津浪の用心」と書かれており、裏面には被害状況などが記されている。
ビジターセンターは今回のリニューアルにより、合併前の市町村の観光ポスターが撤去されてしまった。震災前の光景などを見ることができる貴重な資料だっただけに、廃棄されていないことを願いたい...
ふるまいのわかめ汁 |
牛すじ煮込み丼 \500 |
はじき猿には風車や様々な飾りつけがなされており、それぞれにいわれがある。一緒におかれている達筆な説明書きを書いたのが老爺こと千葉さん。関東からの注文もあり、この説明書きを同梱して送られるそう。千葉さんが若干ほろ酔いだったのは内緒である。
今回のイベント参加の目的でもある「鮪立(しびたち)大漁唄込み」が始まる。まず冒頭、保存会会長から挨拶がなされる。地元の方が多いので端折って...とおっしゃるが、丁寧に唄の解説もされる。
この地方のカツオ漁は、紀州からもたらされたという情報は、先日リアスアーク美術館の展示で知ったところ。そして挨拶で「三輪崎」という地名が出てきたのには、驚くとともに懐かしさを覚えた。古からの繋がりが、今こうして自分を気仙沼に居らしめるというのは言いすぎか...
唄が始まる前に、餅撒きならぬ小銭撒きが行われる。「縁起の良いお金ですので、皆さんぜひ拾ってください!」とアナウンス。偶然足元に転がってきた10円を手に入れる。
唄は、漁の作業歌で、沿岸で待つ家族へ大漁を告げる時にも歌われる。隣で見ていたおんちゃんも口ずさんでいたということは、この地では誰もが知っている唄なのかもしれない。
唄が終わったので、会場を後にする。唐桑半島の観光スポット、巨釜(おがま)、半造へ。
明治三陸津波で折れた「折石」。東日本大震災では折れず |
水取場 |
駐車場の一角で、グランドピアノを積んだ大阪ナンバーの1tトラックがあったが、目的は不明である。
その後、本吉方面に向かい、少し山の中を走ってみる。南北を結ぶ道路は45号線がメインだが、里山を抜ける道も存在している。
芸濃町っぽい風景 遠くに海を眺める |
途中、何匹かネコを見かけた。気仙沼でいなくなったネコは本吉に避難してきたのだろうか...
この地方では、ようやく田植えが始まったばかり。ところどころで早苗の植わった田を見かける。
また、若干内陸を走る三陸道も鋭意工事が進んでいる。
引き続き、気仙沼一の観光スポット、岩井崎へ。GWだけあって、数台のクルマが駐車場に止まっている。
津波に負けず「のこった」秀ノ山関の銅像 |
昇り龍の松 |
岩井崎と言えば、潮吹き岩 |
公園施設には津波による損傷が見られ、周辺環境も大きく変わってしまっているが、こうやって観光地にお客さんが戻ってきてくれてうれしい。
その後も、少し山道を走ってみるが、往々にしてダートとなってしまい、あきらめて引き返すことに。そろそろ86の限界を感じるようになってきた。頼んであったマシンはどうなったのかな...
夕食はラーメンまるきに向かうも、無情にも「スープなくなりました」の張り紙...定番こけしに向かい、野菜不足を補うための中華飯を食べる。
熱い... |
大船渡市役所派遣、宮城県派遣を合わせて、今日で100日目となった。
ふと、何故自分が今日のルートを巡ったのか考えてみた。唐桑半島も本吉から気仙沼の山の中も、津波により破壊された街並みを見ることがない。もう見慣れてしまって特段の驚きもないと、思ってはいるのだが...
現実から目を背けることはできないが、大きく損傷した場所から遠ざかることで、心のどこかに安らぎを求めているのかもしれない。たった100日しかここに住んでいない自分でさえ、そう思ってしまうのであれば、2011年3月11日以前よりずっとこの地に住み続けている方々は、もっとその気持ちを強くもたれていることと思う。
しかし、怖がってばかりでもいけない。改めて自分の役割を考えてみて、前に進んでみることにしよう。