朝焼けの撮影に行くというk氏、K氏がゴソゴソしていたが、無視して寝ることにする。7時半になり、W技師とともに起床し、朝食会場へと向かう。
2人はまだ帰ってきていなかったが、しばらくすると戻ってきた。朝焼けの撮影は出来なかったものの、漁師さんといろいろ話をする機会に恵まれたそうで、それなりに収穫はあったようだ。
朝からマグロのカマがメインの、これまたヘビーな食事となる。出来る限り残さないようにと思ったが、少し食べ残してしまった。
約束の8時半になると、しんちゃんことO氏が乱入してきた。急ぎ準備をして、出発する。
浦の浜のぐりーんあいらんど大島というコンビニ的店で買い物を済ませ、フェリーでやってきたTさんと合流し、今日もO氏宅のボートで航海へ。
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いかだ |
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漁業の現場 |
大島水道を抜け、唐桑半島を周る。
外海に出ると、やはり船は前後左右に揺さぶられる。昨日よりは幾分マシだが、海は激しくうねっていた。
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少し操船させてもらうが、クルマの方が簡単... |
大型のフェリーやタンカーで外洋に出たことはあるが、このような小さな船では今回が初めてである。海は常に荒く、そして少し怖いと思った。
広田湾の養殖設備を抜けて、折石にアプローチする。しかし波が高いために、接近することはままならなかった。
そして進路を南へと向ける。 波は穏やかとはいえ、小舟には過酷な航海だった。
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Tさんの新しいカメラの操作を教えるk氏 |
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操業中 |
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安全な場所で操船を学ぶW技師 O氏とは兄弟のようだ |
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爽やかそうに見えて極悪な2名 |
船は南三陸町に入る。歌津の沿岸部はびっしりと養殖施設が張り巡らされており、なかなか陸に近づけなかった。O氏が航路を見つけて、接近する。
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操業中 |
泊崎漁港周辺では、わかめ養殖のロープが碁盤の目状に張り巡らされていた。O氏の操船テクニックにより難を乗り越え、自らが担当するNという施工箇所、Iという施工予定箇所へ。
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N |
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I |
こんな機会はもう二度と訪れないだろう。夢中でシャッターを切る。しかし、後で撮影を忘れていた場所が...自分が二人いたら良かったと思った。
そして、稲淵漁港に接岸する。干潮のため岸壁まで上がるのに若干苦労する。最近、地盤が急速に隆起してきており、岸壁の高さが合わなくなる事態が多発している。こうやって船でやってくると、初めてその状況が理解できる。
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防波堤にしがみつく二人 |
顔なじみの漁業者の方が見えたので、挨拶をする。O氏が給油要請を出していたので、どこかお願い出来るところはないかと尋ねると、わざわざガソリンスタンドに電話を掛けてくださった。
「おらいの友達がっさ~・・・」
その言葉を聞いて、とてもうれしくなった。こうやって呼んでもらえるなんて...
昼食は昨日消費しなかったカップラーメンとなる。これまたO氏がお湯を用意してくれていた。本当に何から何まで世話になりっぱなしである。
若干風が強いものの、ドローンを飛ばしてみることに。
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記念撮影 |
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自分が担当したTという施工箇所 |
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一見穏やかな海 |
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漁港からI、Nという施工箇所を眺める |
再び出航する。行きは沖を通ってきたので、帰りは沿岸を行くことに。
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さよなら稲淵 |
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薄曇り |
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ついてきた鳥 |
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岩礁や浅いところは波が立つ |
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高い家々 |
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鳥も一服 |
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目印の下には、たぶん籠が仕掛けてある |
そして、船は再び気仙沼市へと入る。津谷川河口に差し掛かったころ、k氏、K氏ともに色めき立つ。自分も含めて、シャッターを切り続ける。
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シーサイドパレス |
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絶対見られない光景 |
そして大谷海岸へ。
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何かわからないが、ブイ |
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大谷海岸 |
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野々下の防潮堤 |
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杉ノ下 |
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気仙沼向洋高校跡 |
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海難者慰霊碑 |
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龍の松と秀ノ山雷五郎関 |
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潮吹き |
そして再び気仙沼湾内へ。
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兵庫家島のガット船 |
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シルエット |
そして元の岸壁にボートが着く。ずっと上下左右に揺さぶられていたからか、すっかり疲れてしまった。
荷物を降ろしていると、O氏が燃料が足りなくなったと。どうやら船体内部に海水が入り込み、ポンプが正常に排水しなかったので、余分な重りを積載しているような状態になっていたそう。燃費が悪くなった理由がわかったと。
軽油を買い出し、万事終了したころには辺りはすっかり暗くなっていた。夕食を摂りにファミリーレストランへ。今回は魚介類は避けよう...
k氏が寝落ちしそうになったので、散会となる。
この2日間で、とても多くのことを改めて学んだ気がする。海からは沢山の恵みが得られるが、そこは常に荒れている過酷な環境であること。海に生きる人たちは、その過酷さと共存していること。もしかしたら、大小合わせれば数年ごとにやってくる津波に対しても、ここで暮らすうえでは不可避なものとして、それを受け入れているのかもしれない。もちろん、人命や財産が失われることを是とは決して思っていないだろう。
今、自分がこの地で復旧事業に携わっているが、それはあくまでも陸(おか)で暮らす人たちが考え出した計画に基づいて進めているのかもしれない。海に生きる人たちが考えたら、もっともっと違う、もっと素晴らしいアイデアが沢山出てきたかもしれない。そう考えると、もっと早くこの機会に恵まれていたら良かったと思った。
大島のしんちゃんことO氏と友達になったからこそ、今回の航海が実現できた。そう思うと、本当にしんちゃんに感謝してやまない。願わくば、一生の友達になれればと思う。