少し薄曇りの朝を迎える。それでも雨が降ることもなく、秋らしい気候。いつもより早く起床したので、洗濯をしたり。しかし、なぜか背中に激痛が走り、肩甲骨付近が鈍痛に襲われる。そしていつものように出勤する。
なんとなく久々のような気がしなくもないが、N技師と休みの期間の話などをする。そして、ちょっと溜まった書類をチェックして、作業に取り掛かる。ちょうど、Hという施工予定箇所に関するデータがコンサル氏から届いていた。もはや自分でも資料整理していかないと、何が何やら複雑怪奇で理解できなくなりそうだ。主担当の自分でさえわからなかったら、他の人に伝えることなどもってのほか...他者の理解を深めるために、図面も作成する。
午後、異動するS主事のピンチヒッターになっているT主査から、資料提出を依頼される。あらかた準備してあったので、最後の詰めをしていると、南三陸町役場から電話が入る。以前提出していた道路占用許可について、南三陸警察へ説明してほしいとのことだった。
南三陸警察署に連絡し、担当氏と電話で打合せをする。「杓子定規ですが...」という言葉とともに、少し驚くような内容の書類を要求される。そして交通安全週間のため、月内は協議を受け付けられないと。復旧復興どこ吹く風、まさに杓子定規だった。この方は現場を見たことがあるのだろうかと、疑問に思う。三重にいる時も同じ手続きをしたことがあるが、こんなに手間はかかっていない。それにしても...
電話終了後、N技師と話をしていたら、この件についてかなり憤っていた。まぁ、郷に入っては郷に従えだよ、と少しなだめておく。
そして、職場には、なぜかW班長が回収したヘビがいる。うーん、この職場はどうなっているのやら...
業務終了後、大型ショッピングセンターへ朝食と夕食を買い求めに出向く。店を後にするころ、S総括とすれ違い、「雨ふっでぎだ」と。ヤバい、洗濯物が!ダッシュで戻り、なんとかほとんど濡れることなく回収に成功した。
テレビを付けると、NHKの夕方の番組「てれまさむね」の被災地からの声コーナーで、稲渕漁港のインタビューを放映していた。
冒頭に出演した若い漁師さんを見て、すぐに父親の顔が浮かんだ。
メールやFBのタイムラインで、黒田裕子さんが逝去されたと知る。ご活躍を偲ぶ記事が三陸辛抱にも掲載され、訃報はNHK仙台でも流れていた。亡父と同じ、ほとんど自覚症状のない膵臓がんだった。黒田さんの、あの独特の語り口調が耳から離れない。氏の意思は、来たるべき南海トラフの巨大地震に向けて、多くの人たちに受け継がれていく。
そして、気仙沼で苦楽を共にした3号機とのお別れも、刻一刻と近づいている...