2014年9月11日木曜日

#594 3年半という月日

昨晩、非常に早い時間に就寝してしまった。日が変わること、天井を叩く雨音で目が覚めたが、意に介さずそのまま寝続けてしまった。

朝、起床してテレビを付けると、石巻の各地で浸水している。気が気でなかった。
家を出ることには雨も上がり、いつものように出勤する。

気になったので、石巻のA技師にメールを送る。合庁付近も浸水していたようで、高知から派遣のO氏は、寮の周辺が完全に浸水しており、出勤できない状況とのことだった。

昨年度実施した事業に関する資料整理を行う。今、自分の業務を行う上で、過去の職員が整理してくれた資料がとても役に立っている。震災がなければこの有難さを理解できなかったかもしれない。自分も未来の宮城県職員のため、ひいてはここに住む未来の人たちのために、作業を進めていく。と、かっこいいことを言っても、結構手間がかかる...
不安定な空模様の非ライブカメラA
Hという施工予定箇所に関する、コンサルタントから送られた資料もチェックする。即レスポンスし、何度かやり取りを行ってひとまず決着する。この現場も、ダッシュで作業を進めないと進捗に影響してしまう...

最近、入札に関してはいい方向に物事が進んでいる。もちろん、自分の担当外では不調も発生している。周辺での工事の状況や工法など、好まれるものの傾向は明確である。そして、アクセスの不利など、好まれないものの傾向もまた明確である。

業務終了後、再び石巻の事務所に連絡してみる。O氏は無事出勤しており、寮も床上浸水は免れたようだった。しかし、駐車されていたクルマは浸水してしまったようで、フロアマットが干されていたとのことだった。クルマを有していないO氏は、ある意味ラッキーだったのか...

業務終了後、夕食を摂りにこけしへ。サンマ刺定食か悩んだが、刺身盛合せ定食を選択する。
サンマ刺がのっていると思ったら、無し...
ベースキャンプへと戻り、洗濯やら荷造りを進めていると、高田の友人からメッセージが届いていたことに気が付かなかった。合流するために、5号機で高田へと向かう。

最近オープンした「フライパン」という店へ。元ハイカラごはん職人工房というお店だが、紆余曲折を経て、フライパンとしてオープンした。高田にはあまりない、おしゃれなお店。営業時間23時までと長い。
高田の友人から、今起きている出来事などいろいろ話を聞く。事務所にいては聞くことのできない、被災地の現実を知る。
ほかの地方では10年といったスパンで考えるような出来事が、この3年半という短い期間で顕在化し、それに対応していかなければならないということが分かった。これからはイベントというような散発的な支援ではなく、もっと身近で、もっと地味で、もっと寄り添った支援が求められるというより、今すぐにでもしなければならないことも分かった。そして、今の局面を乗り越えていくためには、昔ながらの考え方では通用しないことも...

店も閉店となり、散会となる。5号機で漆黒の高田を抜け、気仙沼へと戻る。
メディアやFBのタイムラインを見て、3年半という節目を意識する。しかし、職場や同僚の口から3年半を意識する発言はなかった。今はハード整備の進捗に注目が行きがちだが、実は本当に困難な局面はこれから起こるのではないかと、少し後ろ向きになる...