気仙沼に来て、半年目の朝を迎える。しかし、特に変わったこともなく、いつものように朝食を摂り、三陸新報に目を通し、出発する。あまロス症候群を罹ってしまっているくらいか...若干しっとりとした通勤路を行く。
職場に着くと、半年という重みを感じてか、いつもと違った神妙な面持ちで仕事に臨む。T氏から「体調悪いの?」と問いかけられたが、実はそうではない。
今日から新メンバーの臨時職員Mさんを迎え入れる。そういえば、別の部署でも拍手が...節目の一日だ。
最速で着工が可能な歌津の施工予定箇所で必要となる調整事項の解決に取り組む。必要な資料が全て整っているわけではないので、進んでは止まる。しかし、そろうのを待っていてはどんどん遅れてしまう。
県庁の担当氏から、昨日送っていたメールの回答があった。しかし、この予定箇所を進めるには、越えなければならない林野庁との協議があると伝えらえる。急ぎ、資料作成に入る。
新規採用のS主事は、今日から晴れて正規職員となり、公用車の運転が出来るようになった。早速一人で出張となり、同僚から拍手で送りだされる。
午後もひたすら午前の続きに取り組みつつ、別の予定箇所の資料作成も進める。猶予があまりないが、いろんなことが同時に加速する。半年前とは全く異なる雰囲気だ。
没頭していたら、いつの間にか人が殆どいなくなっていた。キリのいいところで退庁する。
業務終了後、こけしに出向く。時間帯のせいなのか、今日は空いている。刺身盛り合わせ定食が売り切れだったので、定番の中華飯を食べる。
帰宅後、調べ物をしていたら「産業計画会議」というものを見つけた。電力の鬼と呼ばれた松永安左エ門が主宰するシンクタンクで、日本の未来を創生するための、様々な提言がなされた。東海道新幹線開業前の国鉄分割民営化や、成田とは異なる新東京国際空港の案、伊勢湾台風の被害を鑑み、シミュレーションまで行った東京湾横断防潮堤など、50年以上経った今見ても興味深いものばかりだった。
松永翁のようなカリスマ性も先見の明も、日本の未来を創り出していくような力も、自分は持ち合わせていない。しかし、東北の、宮城の、気仙沼で、そして南三陸で、復興に携わっている。
自分が取り組んでいることの成果が出るのは、10年後か、20年後か、50年後か、はたまた100年後か...微力ながら、今、この地の未来を創る一員になっているんだと、半年目に思いを新たにした。