防災の日の朝は、窓のない部屋で迎える。天窓があるものの、晴れているのか曇っているのかわからない。部屋から出てみると、外は夏らしい空。
宿を後にし、6号線を挟んで向かいにあるコンビニで朝食を入手し、一路南へ向かう。
南相馬市小高区に入るころから、街の様子が変わってくる。ロードサイドの店は殆どが閉められている。クルマもめっきり少なくなり、浪江町へと進む。途中にスクリーニングポイントが設けられている。
浪江町の中心部は、建物は津波などで流出することもなく、健全な状態にある。しかし、すべての店舗が営業を停止しており、信号だけが明滅を繰り返している。
しばらく進むと、チェックポイントが設けられている。ここから先の帰還困難区域への立入は許可証が必要となる。通過するクルマを横目に、Uターンを行う。
再度街へと引き返す。街と言っても、6号線の両脇はすべて閉鎖されており、所々に警備員が屹立している。浪江町役場近傍にクルマを止め、街の様子を眺める。
|
クルマ通りのほとんどない6号線 |
|
気仙沼の田中前とは異なり、無人... |
|
浪江町役場 手前の駐車場にはクルマが置き去りに... |
セミの鳴き声しかしない街にいると、見えない重圧感で胸が苦しくなってきた。きっかけは2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震。しかし、気仙沼や南三陸とは全く異なる現実が、この街を支配している。
元来た道路を引き返し、南相馬市へ。途中、海側へ針路をとる。走っていても、工事看板を見かけることがほとんどない。復興の槌音どころか、復旧もこれから始まるような感じがする。
途中集落があり、一部は帰還された方がお住いのようだったが、損壊したままのもの、手直しが行われているものが混在している。
|
まだ未回収のクルマが点在している |
|
除染などで出たと思われる廃棄物の仮置場 |
|
集落 |
|
放置されている建物 |
道路がところどころで分断されているため、6号線に戻って小高駅へ向かう。駅前は人通りもなく、あまりにも静かな状況だった。
|
列車の来ない駅舎 |
|
駅前通り |
|
観光案内 |
相馬野馬追の野間懸と呼ばれる神事が行われる小高神社へ。
|
鳥居 |
|
本殿には馬の絵が奉納されている |
|
神事の行われる場所 |
再び海側へ。
|
高台の墓地で見かけた慰霊碑 |
少し遠くに防潮堤を見つける。一部損壊しているものの、健全な状態の部分もある。
近くには、まだ綿帽子のタンポポを見かけた。
南相馬市の中心部へと向かう。中心部は原町(はらまち)だが、駅名は「原ノ町」である。
現在は相馬までの区間が復旧しており、丁度相馬行の電車が出発するところだった。
|
鉄道のある街はよい |
構内には、震災で孤立してしまったスーパーひたち用の651系が留置されていた。
|
タキシードボディが汚れてしまっている… |
同じ市内でも、小高とは大きく異なり、日本のどこにでもある街と同じ光景を見せつける原町を抜け、再び南相馬の海側を走ることに。小高い丘に石碑を見つけたので立ち寄ると、干拓の記念碑だった。岐阜県養老郡出身の山田貞策翁が、この八沢浦の干拓を主導したとある。そういえば、岩手や宮城でよく見かける津波記念碑を福島で見かけていない。
|
山田神社 |
|
干拓地を眺める |
引き続き相馬市の観光名所、松川浦へ向かう。震災前は砂州の上を道路が走っていたが、津波によって分断されてしまい通行不能となっている。浦沿いに走っていると「たこ八」という店を見つけ、昼食にする。ホッキ飯という、ホッキガイがふんだんにちりばめられたご飯を食べる。
|
うまい |
1階部分が破壊されている建物の目立つ通りを抜け、湾口付近の漁港へ。湾内ということもあってか、フラットな街を守る堤は存在していない。
|
風光明媚な松川浦 |
|
嵩上げ未施工 |
|
松川浦をまたぐ架橋は通行止 |
そのまま相馬港の背後地を抜けて北上する。相馬港は巨大な工事用船舶が多数係留されており、岸壁でも工事が急ピッチで進められている。
港の端から新地町に入る。火力発電所の脇を抜け釣師と呼ばれる集落へ。カーナビの地図で表示される建物は何もない。
|
郵便局などがあった通り |
|
常磐線の新地駅周辺 |
気仙沼や南三陸とは異なるフラットな街を抜ける。目立った地形地物どころか、県境の標識さえなく、カーナビが宮城県に入ったことを伝える。
|
誰かが設置した看板。機関車はおよそ100tなのだが… |
山元町の海岸部では、傾斜堤タイプのL1防潮堤の整備が進んでいる。背後地の利用がタイトでないので、建設は順調なようだ。
|
人のいないところ |
しばらく走っていると、突然建物が見えてきた。山元町立中浜小学校だ。2階の軒下まで浸水したが、屋上に避難するという適切な判断で、犠牲者はいなかった。震災以降として保存されるという話もある。
|
全景 |
|
軒下の浸水深を表す表示に注意 |
北側には、この地区の慰霊碑と千年塔と銘打った追悼の石碑が建立されていた。
亘理町に入っても、よく似た光景が続く。こうやって一括りには出来ないような、たくさんの出来事が内包されていると思われるが...
吉田浜を抜けると、鳥の海に出る。入江のほぼ中央部に島があったが、津波で荒廃してしまった。
ぐるりと反時計回りに一周し、北側の漁港へ。
|
閉鎖された施設 |
|
一階天井付近にある浸水表示 |
漁港では、たくさんの人々が釣りに興じていた。
亘理大橋を渡り、岩沼市へ。海岸方面へ抜ける道を曲がると、二ノ倉という場所に出る。「愛林碑」と記された石碑を見つける。
石碑には、長年の苦労によって防災林が築かれたことや、災害のこと、関係した林務職員の名が刻まれていた。宮城の地で自分の名が石碑に刻まれることはないだろうが、こうやって住民の求める森が出来たときは、技術者冥利に尽きるだろう。
震災で松林は大きく失われてしまったが、また甦る日を夢見る。
仙台空港近傍にある千年の丘へ向かう。
6月に植樹したところは果たして...
|
人々が集まっていた場所には防風垣が |
|
遠方に植樹会場を望むが、よくわからず... |
|
同じ宮脇式で植樹した近隣の現場は良好 |
引き続き北上していると、何もないところで人がたむろしている場所を見かける。クルマを置いて降りてみると、あぁ、わかった!しばらくして、海側からライトが見えてきた。
着陸する飛行機を間近に見ることのできるこの場所、航空ファンでなくても十分に楽しむことが出来る。少し待っている間に4機着陸する。
名取を抜け、仙台市内の定宿へ。面倒くさくなったので、夕食は近くの立ち食いそばで...と思ったら休み。東洋軒という中華料理店で肉絲飯なるものを食べる。ずっと青椒肉絲が食べたかったので...
|
95%くらい食べたところでハエのアタックを受けてしまう... |
小雨の降りしきる杜の都の夜は更ける...