三陸新報を読んでいると、南郷住宅を安倍総理が訪問されたと一面に。あぁ、そんなに近くにお越しだったとは...
少し部屋でゆっくりしてから、1号機で出発する。
45号線を北へ向かい、まずは高田の星石油店で給油。「今日はどちらへ?」と尋ねられ、「宮古まで。日が暮れないといいんですが(笑)」と答える。
高田ICから三陸道に乗り、北へと向かう。途中どこにも寄ることもなく、大槌町へ。
マストの2階にある情報プラザへ。以前はスタッフが常駐していたが、今は無人のスペースとなっている。まちづくり協議会の便りも配布される分は無くなっていた。もうそのステージは過ぎたということなんだろう。
喫煙コーナーに、東大大槌イノベーション協創事業の説明会が行われているとポスターが掲示されていた。終了時間まであと10分強。急ぎ会場へ向かう。
先日見学した、サイバー過ぎる林業機械のことを思うと、ITと林業はもっと密接にかかわるべきなのかもしれない。そうモヤモヤしていた矢先にこのイベント。
担当されている仁多見准教授といろいろ話をする。今展示されているモノをすぐに三重の林業にも!というわけにはいかないだろうが、うまく組み合わせたり、使い勝手を向上させたり...やってみて損はなさそうである。
他にも見たい展示はあったのだが、時間切れとなってしまった。
引き続き、赤浜へ。前から寄りたかったイタリアンレストランで昼食を...と思ったら、なんと1月31日で閉店となっていた。結局一度も行けずじまい...
岡本酒店へ立ち寄る。あえて以前にも訪ねているとは口にせず、店主と当たり障りのない会話をし、酒とカレーパンを買い求めて店を出る。
工事が始まった赤浜は、景色を大きく変えていた。
家がなくなっている... |
45号線を再び北へと向かう。
波板海岸 |
薪を切っていたおじいさんは元気だろうか... |
そして田老へ。激しい強風が吹き荒れていたが、ドローンも飛ばしてみる。
南向き |
北向き |
北東方向 |
嵩上げ工事完了 |
ソーラーの避難灯 |
こちらも嵩上げ |
事業説明 |
防潮堤建設の碑 |
ドローンは強風に流され続けたが、何とか撮影を敢行することが出来た。
そして、漁協脇の階段から再び堤防へ。田老の街も工事が至る所で行われており、その姿を変えていた。
道路は隅切り、それが田老 |
そして宮古市田老支所、旧田老町役場へ。
防潮堤は浸水深を下げる効果を発揮したようだ |
關口村長 |
この街で生き延びた方々が、更なる津波対策をこれからも成し遂げていくことだろう。
そして帰路に着く。
美しい山田湾 |
別アングルの波板海岸 |
うどんを平らげてから、マスターと談笑する。震災後に行政と密接なパートナーシップを構築したマスターは、その活動範囲をどんどん広げていた。新しい出会いがさらに新たな企画を生んでいる。
「震災からの4年は、40年くらい生きたようだ。」と嘯く。息子さんに任せるという店も、春にはオープンする。震災前もおそらくアグレッシブだったマスターは、震災後もアグレッシブであり続けている。
震災が人をスーパーマンにすることはないと思っている。普段からやっていることが、震災時、震災後に役にたつと考える。今までどうやって生きてきたか、それが試されるのが非常時だと思う。
話は尽きないが、遅くなる前にお暇する。途中大船渡温泉により気仙沼へと戻る。夕方より気温が上がったようで、洗車をしていても苦にならなかった。
この2日は、当初予定していた遠征を延期したので、空いた時間を活用して、再び行きたかった場所に行き、再び会いたかった方々と会う時間にした。被災地にやってきた原点に戻ったような2日間だった。
思ったのが、ハードをどれだけ整備したとしても、結局復興を成し遂げるのは、その地に住む人々なのである。それぞれの街に熱い思いを持つ人がいて、その人の仲間がいて...
今回周った場所は、これからも時間の許し限り、再び、三度、訪ねてみたいと思う。