2015年2月5日木曜日

#741 思いを伝えるⅤ

案の定、体調は悪い。しかし、いつものように準備して、いつものように出勤する。

朝から、Nという施工箇所について現場代理人氏と打合せとなる。県庁で打ち合わせた内容を伝達し、現場代理人氏から施工手順についていくつか提案を受ける。最初から完璧な工事を求める現場代理人氏、ある程度進めてみないとわからないと思っている当方。思惑は噛み合ったりかみ合わなかったりする。

引き続き、来年度事業計画の資料を作る。残された時間はほとんどないが、何はともあれ、手を動かす。

午後、何とか資料の完成までこぎ着けることが出来た。県庁のフォルダにぶち込み、N技師にチェックをお願いする。

業務終了後、病院で注射と薬の処方をしてもらい、45号線を南へ向かう。昨日とは異なり、路面のコンディションは雪のせいで悪化していた。峠を越えて石巻市に入り、左折して山道へと向かう。除雪がそれなりに行われており、走行に特段の支障はなかった。

追分温泉に到着し、いつも支援物資を送ってくれる三重のNNのM先輩とIさん、N君、M君という若き後輩たちと合流する。
昨日仙台入りし、M先輩も派遣でゆかりのある場所を見学してきたとのこと。こういった若手職員に被災地を見てもらうことはとても良いことだと思う。
あまり食べられなかった...
派遣職員として感じたことを、とM先輩のリクエストがあったので、今まで行ってきたことや境遇など、包み隠さず話をした。そして部屋に戻り、二次会となる。

話が鳥インフルエンザの殺処分のことになった。M先輩がある現場で、土木系職員の愚痴を聞き、そして獣医職とケンカになっていたと話をする。鳥インフルエンザへの対応は県庁あげて対応する必要がある。しかし、普段関わっていない職員にとっては新たなる業務負荷にしか感じない。なんとなく、職場で感じるギャップ。被災地のプロパー職員も同じ雰囲気になっているかもしれないと、頭を過る。

ここにいる若者たちが自分の歳になったころ、今宮城で行われているような復興業務に携わる必要に迫られているかもしれない。その時は、今の宮城のように、100壊れたところを100またはそれ以上に復旧することは出来ず、もしかしたら50とかになるかもしれないし、復旧を諦めなければならない場所も出てくるかもしれない。
こういった話をしたところ、M君が深く悩み始めた。大丈夫、まだ時間はある。それまでの間に、自分たちがどういった復旧、復興を成し遂げればいいのか考えればいいのだから。



薬が効き始めたのか、強烈な睡魔が襲ってきた。話は尽きることはなかったが、先に休ませてもらった。