いつものように準備して、いつものように出勤する。
取り急ぎ必要な事務手続きをして、エースポートに向かう。大島汽船のターミナルに到着した刹那、鳥羽出身のN県議と、四日市出身のI県議の姿をお見かけする。しまった、少し出遅れてしまった...
9時20分のフェリーで大島へ。靄がすさまじく、ほとんど景色が見えない。せっかくの気仙沼なので、美しい景色、被災した街の様子をご覧いただきたかったが、それは叶わなかった。
定刻に大島へランディングし、長崎の水上忠夫さん宅へお邪魔する。いきなり道を間違えるが、事なきを得る。集落の先へ向かうと、傘を差したご夫婦が路傍で立たれていた。わざわざ通りまでお出迎えに来ていただいたようで、大変申し訳なく...
ご自宅にお邪魔し、お話を伺うことに。氏は「気仙沼大島架橋物語 : 架橋運動六十年の歩み」を執筆され、市会議員や大島地区振興協議会会長を歴任されている、大島の生き字引と言える方。
まず、同姓のよしみでアイスブレーク。また、親族が三重にいるとのことで、とても三重にお詳しく、急なお願いだったにも関わらず、三重の離島について予習をされていたのは凄いと思った。
離島を抱える鳥羽出身のN県議が、特に大島架橋について質問をされる。
賛成反対で二分された大島架橋、いかに建設までこぎ着けたか、地域としてどのような取組を行ったかなど、同時並行で進んだビッグプロジェクトとの兼ね合いなど、子細に伺う。鳥羽の抱える課題について、大きなヒントが得られる。そして、沢山のおもてなしにも感謝感激である。
昼食までの間、大島を案内する。しかし、濃密な靄のせいで、視界がゼロ...
田中浜で防潮堤に関する説明をしたのち、観光協会のパネルと見ようとするが、亀山のレストハウスに移転したとのことで、登頂することに。あぁ、ここから見られる美しい景色を味わっていただきたかった...風倒木の伐倒をしていた森林組合の職員が、昼休みでレストハウスにやってきたと入れ替わりで下山する。
浦の浜を超えて、磯草方面へ。大島架橋の関連事業は本土側でしか進んでいないと思っていたが、大島側でも着実に進められていた。
再び田中浜へ向かい、みちびき地蔵を拝む。
田中浜を望む |
引き続き、大島公民館を訪問する。菊田館長と小野寺技査から発災直後の対応など貴重なお話を伺う。
震災直後から孤立した大島だが、離島の弱点も露呈したが、また離島の生活文化がもたらす強みも発揮されたことが分かった。それぞれが持てるリソースを出し合って、困難を乗り越える。普段都市に生活しているとわからない「つながり」が、大島では生きている。
小野寺技査は、震災当日は魚市場勤務だったそうで、ここでも適切な対応で数百名の避難者を受け入れていた。
避難訓練の話、山火事の話、被害の状況などなど、大島のことをより深く知ることが出来た。
消防団員一人一人に無線機が渡されている |
菅原市議は、特に「トモダチ作戦」のことを強く語られる。そういえば、N先輩からも防潮堤ができるとトモダチ作戦が出来なくなると言われたことが...今でも市議は作戦の担当官と繋がっているとのことで、三重でもぜひとアドバイスをいただく。そして島のこと、架橋のことなどお話を伺った。
N県議のリクエストで離島にフォーカスを充てた視察、たくさんの成果を得られた。
菅原市議に16時20分のフェリーに乗ることを伝えると、10分まで大丈夫だとアドバイスをいただくが、来客はちょっとソワソワしている。そのお気持ち、わかります...
大島架橋建設予定地 |
花巻空港から移動されたO県議が気仙沼に到着したとの電話が入り、ひとまず内湾にある宿、大鍋屋へ向かう。自分はそのまま合庁へと戻り、また宿へリターンする。
懇親会の会場は、気仙沼横丁。初めての大漁丸で海の幸をご賞味いただく。三重では聞けないたくさんの話を伺うことに。こういった面でも、気仙沼に来ている意味があるというものだ。1次会で終わることはなく、次々と河岸を変えながら本音でトーク。まだ夜は続きそうだったが、先に失礼することに。雨はすっかり上がり、明日は好天に恵まれそうな感じがした。