連日ヘビーな状況が続いていたが、まだ終わらない。7時過ぎに起床し、ホテルの1Fにある食堂でパンを食べる。サービスで簡単な朝食が提供されているが、選択の幅はあまり広くない。
時間が無くなってきたので、タクシーで仙台駅へ向かう。土曜の朝の新幹線ホームは至って静かだった。17両編成のやまびこで、郡山へ。
|
最近はE6系のタイトな感じが好き |
郡山で磐越東線に乗り継ぐ。偶然乗り換え検索で見つけた「磐越東線新緑号」という快速列車。福島県は来年度にDC(ディスティネーション・キャンペーン)を行う予定で、今年はプレイベントが目白押し。この列車もその一環である。
|
傘でお見送り |
|
ツツジがきれいな船引駅 |
|
元、リゾートしらかみの車両 |
珍しい列車に、沿線にカメラを構えた人を見かける。そして車内は、硬派な鉄ヲタ率が高めだった。途中駅では、観光PR(といっても、乗客にパンフレットを渡すだけなのだが...)も行われていた。
|
三重的田園風景 |
2時間の旅を終え、定刻にいわき駅に到着する。学生の頃、オカヤンことO君と18きっぷを使って松島に旅をした時以来、この駅に降り立つ。その時は、係の方がスーパーひたちのヘッドマークを点灯してくれた思い出がある。
ホームの片隅にある喫煙コーナーで一服していると、見知らぬおじさんから声を掛けられる。札幌から結婚式に出席するためにやってきた方で、「鉄ちゃんばっかりの列車、初めて乗ったよ(笑)」と仰っていた。いえ、この程度では余裕ですよと、自らの鉄ヲタを隠ぺいして会話する。
改札を抜けると、地元の高校生によるフラダンスが。
|
勿来工業を芋工業と呼んでしまったのは内緒 |
|
以前の平駅の面影はない |
駅ビルの中にある、地元産材をふんだんに使ったメニューが多い「VegeCafe」という店で上げ底する。
|
エリンギとエビのビスク |
集合時間には少し早かったが、待ち合わせ場所のレンタカー店へ。既に別便で到着していたTさんが待っていた。しばし談笑していると、今日のナビゲーターである、地元出身のSさんが到着。三重に一時避難されていた方で、とても元気な女性である。
スーパーひたちでやってきた、おなじみのN先輩、特別学級を担当するA先生、「みえとも」のキーパーソンMさん、そして神戸からやってきた看護師のAさんが合流し、いざ出発となる。
まず、いわき明星大学の敷地内にある、楢葉町の小中学校へ。ちょうどこの日は小学校の運動会で、グランドにはたくさんの人出。しかし、児童数は震災前の1/3程度に激減しているとのことで、震災というより、原子力発電所事故の影響の深刻さを目の当たりにする。
引き続き、市内の住宅街の一角にある、広野町、楢葉町の仮設住宅を見る。広野町は一般的なプレハブタイプ、楢葉町の住宅は木造の2連長屋で、非常にしっかりした造りになっていた。
四倉の海岸線を走る。ところどころで防潮堤の建設が進められていた。嵩上げなのか新設なのか不明だったが、陸側が緑化されていたのが印象的だった。
|
緑化されている |
|
少しまばらな防災林 |
昼食は、和という店で摂る。N先輩が推奨するソースかつ丼を全員が注文していた。皆はミニ丼+刺身のセットを、自分は単品を注文する。
|
美味 |
引き続き、久ノ浜へ向かう。宮城と同様に、漁港は大きく地盤沈下している様子が覗えた。
|
数十cm沈下 |
|
船溜 |
|
防波堤には釣り客の姿が |
久ノ浜の集落では、復旧工事が鋭意進められていた。海側にはTP+7.2mの防災緑地が整備される予定だが、その背後に再び住宅地が整備されることを考えると、三陸との違いを感じざるを得ない。南三陸町なら災害危険区域に設定されている場所なのだが...
浜風商店街へ。こじんまりとした仮設商店街には、他ではあまり感じることのない、アットホームな雰囲気に支配されていた。
一角に、展示室が設けられており、中には震災時の写真だけでなく、震災前のアルバムも置かれていた。じっくり読んでいたら、地元の方に声を掛けられる。買い物ついでに語り部となってくれた。誰もが求めている、絵にかいたような田舎の商店街がここに存在していた。
引き続き、広野町を通って北上する。
|
北限か? |
そして、楢葉町へ。
|
この日、Jビレッジが何なのか、知る。 |
偶然、常磐線を4両編成の列車が走り抜けていく。N先輩に「さっき、電車が走っていたけど、人が乗っていなかったよ」と伝えると、それは竜田駅までの部分開業に備えた試運転列車で、なんで写真を撮らなかったのかと罵倒される。
そして、天神岬公園のある高台へ。眼下の黒い土のうは、来るたびに増えているとのことだった。
|
実は列車が写っている |
公園内に、しおかぜ荘という入浴施設がある。立派な施設の周辺は除染済みであり、脇には「原子力発電所・・・交付金施設」の看板が設置されていた。
施設近傍には、2階建ての作業員宿舎と思われるプレハブが林立していた。狭い間口で入口はすべて引き戸。今の合庁がプレハブなので、その寒さは知っている。作業員の住環境は決して恵まれたものではなさそうだ。
更に北上を続け、富岡町へ入る。
|
奥に2Fがある |
そして、富岡駅へ。
もう気仙沼でも、南三陸でも、大船渡でも、陸前高田でも見ることのない風景が、そこには広がっていた…
更に北上を続ける。無人の街を巡回する消防団、そして明滅する信号機があまりにも悲しかった。
帰路、楢葉中学校の建設現場を見る。その構造は、中学校というよりも、明らかに多用途への転用を想定しているように思えた。
楢葉町役場へ。近傍の斜面にそびえる巨大な邸宅は、今にもずり落ちそうになっていた。
|
平成23年3月の文書 |
黄昏の中いわき市内に戻り、ホテルにチェックインしてから懇親へと向かう。平の繁華街には多くの人に溢れていた。ボランティアなのか、観光客なのか、避難者なのか、原発の作業員なのか、はたまたそれ以外なのか...
ホテルの前のバーで2次会となる。N先輩と二人で語り合う。三重でやりたいことがある、それを改めて確認した。