大鍋屋にお迎えに上がると、O県議、N県議が女将さんからこの街のこと、震災後のことなどお話を聞いていた。ここは小野寺五典防衛大臣の実家。館内には自民党関係者の写真などが飾られている。
小野寺大臣のご兄弟と思われる方から話を伺う。震災当日、船の沖出しを行い、津波を乗り切ることは出来たが、今度は火に囲まれてしまい、決死の覚悟で逃げ出した。そして船は結局火災で焼失したとのことだった。後日、氏に助けられた方がわざわざ訪ねて来てくださったという暖かいエピソードを聞くことが出来た。
気仙沼市役所へ向かい、防災集団移転促進事業など話を伺うことに。市役所の佐藤建設部長と伊東係長にご対応いただく。
O県議のリクエストということもあり、積極的に質疑応答がなされる。話は防集に留まらず、街づくり全体に及ぶ。気仙沼市では、住宅と産業再生の2つの目標を達成するために様々な事業を実施しており、防集でおよそ1,000戸分の宅地が整備され、災害公営住宅は2,200世帯分の建設が予定されており、土地区画整理事業も3地区で行われている。
広範囲の地盤沈下に対し、国から嵩上げでなくポンプアップでの対応を求められたが、市としては譲らなかった話、水産庁の事業を活用して嵩上事業を行い、買収→嵩上げ→再分譲というプロセルを経なければならないなど、興味深い話を伺うことが出来た。
また、N県議も出身の鳥羽とオーバーラップさせ、沢山の質問を投げかけられていた。
市役所内の浸水表示などを確認し、南気仙沼を通って登米沢の防集団地へ。車内では大谷や階上など、明治の高台移転などを説明する。
45号線には、10tダンプが多数行き来しており、その光景にも驚かれる。そういえば、市内のある地区で工事用車両の運行について協議が行われているという回覧を見た。猛然と工事を行うだけでなく、生活環境を保全するという視点が求められるようになってきた。被災地は緩やかに平常モードへと移行しつつある。
登米沢の防集団地は、6世帯分の造成が完了している。すでに基礎工事が始まっている区画もある。1世帯当たりの面積は約100坪。
造成費用には幅があるようだが、この団地はそれほどではないものの、中には地形的条件などからコストが高めのところもある。
三重では宅地分譲だと60坪くらいが多く、そういった内容との比較など、3名の県議からは三重的な視点から沢山の意見が出された。ここに書くことは控えよう。
N県議のリクエストにより、登米沢の海岸へ。N県議は熱心に漂着物を確認されていた。
野々下の防潮堤建設現場へ。その前に大谷漁港の脇にある竹製のステージに立ち寄る。たまたま建設にかかわった学生がメンテナンスに訪れており、声を掛けられていた。
ステージは中国的な土の積層 |
特徴的な構造 |
船揚場にはワカメがぎっしり |
野々下 |
引き続き、さかなの駅や海の市など、市内をご案内する。そして、最後に見ていただきたい場所として安波山へ。N県議、I県議は更に高みを目指される中、O県議と景色を眺めながら、この街のことを少し話をした。
皆さんをお見送りし、合庁へと帰還する。引き続き、ずっと続いている作業を手掛ける。東部の事務所や石巻との調整も完了し、資料の調製を進める。H主任主査と同時に作業が完了し、22時過ぎに合庁を後にする。
夕食は、またまたコンビニとなってしまった。早くこの負のスパイラルから脱したいところだ。