いつもより1時間以上早く起床し、手早く準備をして出勤する。睡眠時間が短いせいか、なんとなく体が硬いような気がしなくもない。
7時出発予定で10分前に到着したが、既にT次長、T班長、N技査、K氏、N技師とフルメンバーがそろっていた。クルマに荷物を積み込み、出発する。
道も空いており、南三陸町役場には予定より30分早く到着した。2階の会議室に箱一杯の書類を運び込み、準備を整える。
9時過ぎに、治山班のS主任主査、M技査とともに、林野庁のA査定官、東北財務局のCという立会官が入室される。残事業調査と呼ばれる、災害査定の一種が始まる。
まず、自分の担当するHという施工予定箇所について説明を開始する。開始早々、いきなり予想外の事象が発生し、一時退席する。あまりにも基本的過ぎて、確認を怠っていた。三重でも何度か経験したことのある内容なのだが...
変わり、H主任主査が説明に入る。室外にいると、時折大声が室内から聞こえてくる。何が起こっているのかはわかっていた。
そして、再び自分の担当するNという施工予定箇所の説明を始める。査定官の指示に従って説明を進めていると、立会官から職権を濫用した発言が繰り返し発せられる。そして立会官から要求された資料を探している間にも、その発言が止むことはなかった。「少しお待ちいただけませんか?」
と伝えるも、一向に収まらなかった。
要求されていた内容と、自分が提示した内容が異なっていたとわかると突然激昂される。謝罪を行ったところ、説明者の交代を要求され、退室することになった。残りはH主任主査に託すことに。
室外で不足する資料などを事務所に依頼していたところ、休憩に入ったA査定官が「俺の仕切りが悪くて、嫌な思いをさせてしまって申し訳ない。」と謝罪される。いえ、進行を妨げてしまったのは自分なのでと、恐縮する。A査定官も立会官の対応を快く思っていないように感じた。
机上の説明が終了し、S主任主査、M技査とともに再度謝罪を行うも、その後の説明者としての同行が拒否される。
H、N、そしてSという施工予定箇所での現地調査もスムーズに進む。N技師が提案した、海上に設置する構造物の測点表示は大好評だった。
事務所に戻ると、また尋常でない事態が起こっていた。T部長と名刺交換を行った立会官が激怒していたとのことだった。既に日中に発生した理不尽な事態については報告済みだったが、このような態度に出られることは誰一人想像していなかった。
東部のメンバーが合流し、説明に入る。職場がにわかにあわただしくなる。
その後、A査定官と立ち話をする。「君の仕事のやり方は間違っていないから、それを決して変えないように。」とアドバイスをもらう。今までは厳しい一面しか見えていなかったA査定官。同僚を含め、皆が自分の味方だったと安心する。
打合せ、資料修正などを継続して行う。N技師が役場での立会官の発言メモを見せてくれた。職権濫用というレベルをはるかに超え、もはや、恫喝といっても差支えがない。
防災部局所属時、地域防災会議が開催されたときに東海○○局の委員が意味不明なことで激怒していたことを思い出した。地方支分部局には、ごくまれにこういった人物がいる。人材育成の仕組みに問題があるのか、手にした権限に酔っているのか。少なくとも、この人物は偉くない。本当に偉いのは国民である。
膨大なマンパワーを浪費する災害査定という制度は、いずれ消滅すると思っている。伊勢湾台風後の三重県が深刻な財政難に陥ったが、そういった巨大災害の復旧などで地方財政を傷めないためのもの。しかし、資料作成には膨大な時間と労力がかかる。
震災から半年後、被災三県に対し、震災関連であれば補助事業の県1/2負担を0にするという制度が創設された。これからはこういった制度が常設化されることが望ましい。
いや、さらに推し進め、今回の震災から復旧や復興に要した費用を指標化し、被災規模に応じて一括交付金として配分する。そういった自治体の裁量に大きくゆだねた制度でなければ、本当の意味での復興は成し遂げられないだろう。一役人の誤った態度によって、復旧事業の柔軟性が大きく損なわれるのは、決して被災地のためになっていない。もしかしたら、道州制が導入され、もっと違った形の制度が生まれているかもしれないが...
災害の多発する日本においては、いつどこが被災地になるかわからない。以前話を聞いた気仙沼市役所では、「他の自治体と同等にするべきだ」という査定時のコメントを教えてもらった。物事のただ一面しかとらえていない悲しい発言が、とてもつらい。
作業を進めるが、連日の疲れか、もうこれ以上は無理になる。日が変わったころ帰宅することに。