三陸新報に目を通すと、先日の唐桑での体験が掲載されていた。
朝食を摂り、いつものように出勤する。
H主任主査が出勤途上、気仙沼の馬籠で0℃を記録しており、クルマのガラスに霜が降りていたと話す。うう、もう冬だ...
H主任主査から依頼されていた、資材の使用見込についての資料をまとめる。生コンだけでなく、砕石や捨石、鋼材などの見込み量を記載していく。この資料で大まかな傾向がつかまれる。先日、土砂の融通についても同様の資料を作成したが、20年後にはシステム上で管理されるようになっていると良いのに...と少し思う。
今日は津波防災の日、ここでも緊急地震速報の訓練がなされた。10時にスピーカーから放送が流れる。自分は身を守る動作を行ったが、他のメンバーは何食わぬ顔で業務を継続していた。3年8か月という月日は、短いようで長い...
A主事から、震災当日のお話がもたらされた。当時は今と違う組織で働いており、耐震性に不安のある建物で勤務していたとのこと。2階にいたA主事はその場に留まったそうだが、1階の人たちは外に逃げ出していたとのことだった。
N技師から、ある地図ソフトが使えなくなったと申し出を受ける。確認すると、自分にも同様の障害が発生していた。原因を調査してみることに。しかし、解決する前に、本吉へ出発となる。
H主任主査、K氏、N技師と4人で向かう。途中、ひかど食堂で昼食となる。自分はカツカレーを注文したが、他のメンバーはガッツリ食べている。自分が同じ量を食べてしまうと、たちまち巨大化することになる。
南三陸支所で、完成検査に関する研修会が開催される。
参加メンバーのほとんどがNNの派遣職員。検査の流れや注意事項など、一通りの説明を受ける。最後に、説明を行っていた検査課の担当氏から参加者に問いかけが行われたが、少なくともこの参加メンバーから適切なレスポンスが得られると思われない内容だった。
終了後、K氏と少し意見交換する。三重や兵庫とのギャップについて話し合った。
被災地の自治体には、全国から多数の職員が派遣されている。それぞれが持っているノウハウや知識を得る千載一遇のチャンスと思うか、かたくなに自分たちのルールを守り通すか。自分なら間違いなく前者の考えだが、後者が選択されてしまうのも、またそれは組織の文化、風土なのだろう。文化はそうやすやすと変えることは出来ないし、悲しいかな、自分には文化を変える能力もないし、そのような役割も期待されていない。
合庁へと戻り、書類の修正などいくつかの処理を行う。また、N技査のソフトウェアの設定を変更したところ、無事に作動した。N技査は自分のことをSEと呼ぶが、SEではなくSiと呼んでほしいところ。
そういえば、先日システム管理者により、あるソフトウェアが強制的にインストールされた。こういった操作が行われる際、三重の場合だと必ず各所属の情報化キーパーソンに通知、必要に応じて説明会が開催されるが、宮城では、何のためのソフトかという説明さえない。このあたりにも、文化の違いを感じざるを得ない。
業務終了後、気仙沼の母の元へ。「あれ、もう一月たったの?」と言われたが、確かに。最近は時間が経過するのが早い。いろいろと近況報告とともに、街の復興について話をする。
そして、母の以前住んでいた場所の近くに、昔、カジキの工芸品を作る人がいたと教えてもらう。漁師さんは手先が器用な人が多く、他にも石やサンゴを磨いてペンダントにしていた人など...海の街ならではの文化が根付いているのだと、改めて理解する。
散髪後、郵便局へダッシュするが、生憎ATMの稼働時間が終了していた。やむなく次の目的地である北かつまぐろ屋へ。
マグロのかつ丼 |