2014年6月21日土曜日

#512 El Dorado

お休みだけど、早起きしなければならない今日この頃。8時に起床し、洗濯機を回し、準備をして3号機で出発する。危険な時間帯に入っていたが、なんとか間に合うだろう。

定刻前に無事到着し、9時半より千厩で講習を受ける。かなり微妙な状況で第1ステージをクリアした。多めに見てもらったのだろうか...

昼食を、近くのかも川という蕎麦屋で摂る。ごくごく普通のそばだったが、またこれがよかった。
天気もまずまずだったので、引き続きツーリングに出かける。普段は通過するばかりで、岩手県南をゆっくり見る機会がなかったので、そちら方面へ。

千厩から北西に向かい、のどかな田園風景をひた走る。「石と賢治のミュージアム」という案内看板につられていくと、大船渡線の車窓から見え、前から気になっていた陸中松川駅にたどり着いた。気になっていたものが、この博物館だった。
とても親切な係員の方が、丁寧に案内してくださった。まず、10分程度の映像を観る。「グスコーブドリの伝記」をメインに構成されていたが、恥ずかしながら今回初めて物語を知った。最後はバッドエンドのようでハッピーエンドのようで、ちょっとモヤモヤ感が残る作品だが、未来を予測した内容が織り込まれており、賢治の先見性を感じる。

引き続き館内を辿る。館名に石と付くだけあって、レアすぎる石のコレクションが多数展示されていた。石マニアは必見だろう。

そして、枕木のひかれた歩道を歩く。沿道には賢治の物語を題材にした鉄製のオブジェが飾られており、見ているだけでも楽しい。
自由に遊べるトロッコ
同じ敷地内に、東北砕石工場の遺構がある。賢治が晩年深い関わりを持っていた工場である。農学を学んだ賢治は、何度も冷害や不作に悩まされる東北の農民を憂い、実り豊かな大地にすることにまい進していた。この工場で産出される石灰は、酸性土壌の改良に有効なので、それを全国に売り歩く役割を担っていた。過酷な業務の中で生まれたのが、有名な「雨ニモ負ケズ…」の詩である。
中央が賢治さん
結構充実した内容だったのに、最初はほとんど来場者がおらず、帰りがけには少し増えていたが、
それでもかなり空いていた。ロケーションなのか、PRなのか、もったいない限り。

平泉へ向かおうと、3号機を走らせる。途中、あじさいえんという看板を見かけたが、来週開園とのこと。沿道には、アジサイがぽつらぽつらと咲いていた。
・・・
芭蕉さんの句碑 製作年不明
東北らしい穏やかな山道を抜け平泉町へ入る。パッと、視界が開ける。三重ではなかなかお目にかかれないような、ワイドな田んぼが広がっていた。員弁川沿いに似た景色だが、それの何倍ものスケールがあった。もはや気分は藤原秀衡。この地を選んだのは、さすがだと思う。
一部、麦が植わっているところがあった。そこから眺める中尊寺。まさに黄金郷と呼ぶに相応しい光景だった。
他にも…
この地方では、カスリーン台風、アイオン台風の記録を大切にしている 
斜めから見ると真っ直ぐ見える、かなり質の高い田んぼアート
平泉といえば中尊寺と毛越寺だが、既に何度も訪問しているのでスルーし、山道を南へと下る。
途中にあった「達谷窟毘沙門堂」に立ち寄る。僧侶が見えたのでお寺だと思われるが、お寺のような神社のような、不思議な場所である。
鳥居がある
坂上田村麻呂が祀られている
前九年後三年の役の戦没者を供養するため、弓で彫られたとされる岩面大仏
そのまま南へと走り、厳美渓へ。美しい景色だが、美しさプラスアルファがあると嬉しいと思うのは自分だけか…
更に南に向かう。地図上で糸のような道でも十分に広く、快適に走行可能なのは東北の利点だろう。三重で同じことをしたら、ガチ隘路に迷い込んでしまう…

県境を意識することなく、宮城県に入り込む。金成町にある猿田彦神社を参拝する。
もちろん、伊勢から
いくら夏至とはいえ、既にあたりは暗くなってきた。そろそろ帰還しよう。

気仙沼に戻り、久々に福幸小町のこけしへ。すると、昨日の晩に一緒に飲んでいたS主事が。今日の出来事などいくつか話をする。「そんなに出歩いていたら、気持ち悪くなります(笑)」と言われ、少し自分の異常性に気付かされる。
岩手日日新聞の発行している、超クオリティの高い「岩手宝国」を見せる。隣県の情報はあまり伝わってこないことが理解できた。県境の壁、なんとか打ち破りたいものだ。