2014年6月4日水曜日

#495 忘れられないために2

風もなく、薄曇りの穏やかな朝を迎える。いつものように準備して、いつものように出勤する。

土木事務所のY氏から、頼んでいた図面のメールが届いていた。今までの経緯なども併せてまとえ、回覧しておく。
そして、三重から電話が入る。7月下旬に幹部が来気するとの連絡だった。昨年度は仙台で懇親のみだったので、改めて自分の職場に訪問されるというのは緊張する。こうやって、被災地のことや気仙沼で業務している自分が忘れられていないのはありがたい。

新メンバーのH主事、A主事に庁舎内の諸々を案内する。玄関前の地図を使って、担当現場などを紹介する。1年2か月もいると、すっかり古株になってしまった気がする。
非ライブカメラA
午後から、H主事、A主事に自分の担当する現場を案内する。また、K氏もゆっくり見たことがないはずなので、同行してもらうことに。

車内で、それぞれのパーソナリティに触れる。民間企業出身のH主事は、震災後に退職してボランティアとして活動していた。A主事は、震災を契機に前職場が危機に陥り、その後市役所などで勤務していた。十二分なバックグラウンドをお持ちだった。

歌津のN、Iと施工予定箇所を回る。海からやませが吹いてきて、日差しの暖かさと風の冷たさが同居する、暑寒いという不思議な状況になる。
引き続き、戸倉のHという施工予定箇所へ。ここは若干複雑な要素を有しているので、少し丁寧に説明を行う。
南三陸の復興の最前線を少し見てもらう。
藤浜の防集団地では住宅建設が始まっている
志津川の街は、訪ねるごとに変化している
南三陸町役場で顔合わせをして、帰庁する。

業務終了後、自分が幹事長の親睦会「北の会」の打合せを行い、夕食はまるきへ向かうことに。
つけ麺を食べながら、店主やおばさんと話をする。
子どもの遊び場所が限られていることへの憤りから、震災後の再建のエピソード、震災直後の食糧事情やがれきを乗り越えて金魚を救出した状況、朝日で露わになった被災状況を見た娘の反応などなど...
「久しぶりに震災の話をしたよ(笑)」と話す店主。日常の中では、震災の記憶が徐々に失われてきていると、少し感じる。意識し続けないと、記憶はどんどん風化していく。
ベースキャンプに戻ると、大きな荷物が届いていた。四日市のI氏から、新茶をたくさん送っていただいた。一人で飲めるような分量ではないので、おすそ分けをしよう。