2013年7月28日日曜日

#184 是か非か

「水上さん!」
誰かから呼ばれ、はっと目が覚める。しかし、周りには誰もいないうえ、時間は5時前。夢なのか幻なのか...しかし、体はめっきり冷え切っており、慌てて上着を着る。
目覚ましをセットするものの全く気づくことなく、起床したら8時を過ぎていた。大槌に9時半到着を考えると、すぐに出発しなければならない。若干うだうだするものの、意を決して出発する。

「おおつちありがとうロックフェスティバル」会場に到着したころには、あたりに聞き覚えのある曲が流れており、会場へダッシュすることに。今日は微かに雨が降っている程度で、暑くなく、日差しもなく絶好のコンディションである。
昨日中止となってしまったLAWBLOWのライブが、朝一振り替えで行われた。4月以来だが、やはり生はいい。
20分の短いセッションが終了し、友人へのCDなどを買い求める。
そして、会場でA氏と再会する。今日ここに来ることを伝えていなかったが、お会いできてよかった。
A氏は、「津浪と村」を執筆した山口弥一郎とオーバーラップする。21世紀の弥一郎なんだと、心の中で思う。

ハンバーガーで少しお腹を満たし、来た道を戻ることに。途中45号線を左折し、前から行きたかった、釜石市唐丹本郷を通る。
明治と昭和の津波記念碑
子どもたちのメッセージが刻まれた今次津波の記念碑
湾口に設置されている防潮堤
奥は昭和の津波以降に高台移転した集落
明治、昭和と二度完全に集落を破壊され、その都度高所移転を行った。そして、また低地に住居を構えてしまい、今回の津波でも、過去の浸水域に建設された住居は被災した。湾口の防潮堤が低地への居住を勧めてしまったのであれば、少し気が重い。

さらに奥へと進み、花露辺(けろべ)へ。狭い谷間に気付かれた集落は、防潮堤を構築せず、高く盛土を行った道路整備と、極めて高所への移転という選択を行った。
湾奥に位置する集落
密集する集落は、尾鷲市の早田(はいだ)を彷彿させる
災害公営住宅建設中
移転予定地
唐丹には、2011年7月に訪問時に津波注意報が発表され、一時避難した公民館がある。他にもまだ調べてみたい場所があるので、改めて訪問することに。しかし、出歩いてばかりなので、もう少し文献を読み解く時間を設けないと...

途中「夏虫のお湯っこ」で汗を流し、吉野町公民館へ。このころには久しぶりの太陽を拝むことができた。
今日は大船渡ポートサイドマラソンが開催されており、GWにも顔を出してくれたO先輩もやってきている。久しぶりの夏らしい天気のなか、BBQに興じる。
大船渡、浜松、相模原、板橋、そして三重
O先輩から「一ノ関駅まで送ってもらえたりする?」と問いかけがあったので、二つ返事でOKをする。大船渡からBRTと大船渡線でいくと約3時間。車ならおよそ1時間半で到着する。
途中、金曜の大雨で流出した土砂が堆積していたり、倒壊家屋があったり。濁流の流れる河畔もいつもと様子が違う感がする。

一ノ関駅でO先輩をおろし、いつものように284号線で気仙沼に入る。市内では、まだ水が浸かっているところがあった。
ベースキャンプの駐車場も、明らかに浸水した様相を示していた。駐輪場で2号機、3号機の無事を確認。浸水深は10cm程度のようだった。
ごみが付着...
慌しく、気仙沼の母の元へ髪を切ってもらいに行く。ここもかろうじて浸水を逃れていた。話はやはり浸水になり、市街地の盛土はどういう事業で行っているかなどを、知っている範囲で説明する。
ベースキャンプ一帯の地区は、都市機能が集中している。そのため、ここからどこかへ移転すると都市の機能が失われてしまうことになる。嵩上げも困難となると、護岸の整備と完璧な避難が命を守るための手段となる。

そして、乾かない洗濯物を乾かしにコインランドリーへ。乾燥機は大渋滞していた。
夕飯はいろいろ面倒になり、吉牛に行ってしまう。店内では、大船渡市役所派遣時に仕事でお付き合いのあった、見覚えのある方が座っていた。しかし、相手は私が気仙沼に住んでいることを知らない。相手もこちらをうすうす気づいてはいたものの、声を掛けられるような雰囲気ではなかった。