2013年7月27日土曜日

#183 街を創る

雨の上がった大船渡で朝を迎える。身支度を整え、O氏にお礼を告げて出発する。

この駄文を読み込んでくださり、先日お手紙をいただいた在京民放のA氏と、釜石駅での合流を予定している。しかし、釜石線が遠野~釜石で不通となっており、予定を変更して遠野で待ち合わせとする。

ひとまず、107号線を住田へと向かう。昨晩通行止めとなっていた白石トンネル付近では、片側交互通行となっているものの、走行に支障はなかった。必死の努力をしてくださった方々に感謝したい。
気仙川は増水しているものの、避難勧告の発表されていた世田米川向地区も、ぱっと見た感じでは何事もなかったような感じだ。大船渡市役所派遣時代のベースキャンプ、グリーンベル高勘前の横澤儀商店でガソリンを入れる。気仙沼よりお値打ちなのが悔しい。途中分岐し、遠野方面へと向かうが、水沢方面は通行止となっている。
住田の松日橋は、やはり流されてしまったのだろうか...
時間的余裕も少しあったので、遠野で温泉に入ることに。以前はスルーしてしまったが、場所がいいので寄ってみる。踊鹿(おどろか)温泉「天乃湯」へ。
木曽岬温泉を思い出させる、懐かしい感じの場所。天然ラドン温泉とのことで、昼からそこそこ来客がある。退廃的な空間に、ごろ寝の欲求が出てきてしまう。

そして遠野駅へ。外から見るのは12年ぶり。
駅舎の中に入ると、発車案内は消えており、ホワイトボードに情報が書き込まれていた。
上げ底をしようと、ピーナッツ入りの南部せんべいを買い求めるが、あと3分ほどでバスが到着するとアナウンスがあった。快速はまゆりとほぼ同じ時間。存外バスも速いというか、列車が遅いというべきか...

無事A氏と合流し、ひとまず駅前の食事処のんのんで昼ごはんとする。そばと悩んだ結果、A氏と同じ「ひっつみ」を食べることに。
遠野のひっつみは初めて
一路、釜石へ向かう。快適な仙人峠道路は、震災後に遠野が後方支援基地になりえた一つの要素と感じる。釜石駅前でA氏がレンタカーを借り受け、2台で大槌へと向かう。
釜石の街並みは少しずつ変化しているように思うが、途中の鵜住居は以前とあまり変化を感じなかった。

大槌の街に入り、ひとまず旧町役場へ向かう。秋田の大工さんが製作した献花台が設置されている。幾度かこの付近を通っているが、来るたびに周辺の様相は変わっているが、この建物は2年前と変わりはない。
いつ来ても切ない
2011年7月
海辺に作られた、「おおつちありがとうロックフェスティバル」の会場を一旦通り過ぎ、赤浜の集落へ。ここは住民の総意により、防潮堤は現況復旧とし、15m程度の盛土による地盤の嵩上げと高台移転の組み合わせで新たな街づくりを行う。浸水区域のうち、災害危険区域に指定された場所は公園として生まれ変わる。
パノラマ
嵩上げ予定の道路

釜石市の遊覧船「はまゆり」が乗ってしまった民宿
まちづくり懇談会の資料がカバンから出てきた。さすがA氏!
体育館の窓に表示された地盤高さの表示
防潮堤を作らない集落というと、その言葉だけが独り歩きしてしまいがちだが、実はTP+6.4mの防潮堤の再整備と、かなりの高さの盛土というパッケージになっている。

A氏が懇意にされているという、近隣の岡本酒店の店主に話を伺うことが出来た。
今回の街づくりにおいて、将来に渡って安全な街を作っておき、これからも人に住み続けてほしいということ、また、漁師さんが海をみたいという希望を叶えたいということに重点が置かれたとのことだった。そういった想いを具体化した計画が出来上がった。

大槌は地区ごとで街づくりの考え方が異なっており、中心部の町方などではTP+14.5mの防潮堤と2m程度の嵩上げの組み合わせとなっている。様々な議論の中で、そこに住む人たちにマッチした案が選択されているのだと思う。
蓬莱山→
大槌漁協の建物 3Fのガラスも破損している
引き続き、「ありフェス」会場へ向かうも、凄まじい豪雨に見舞われ、クルマから降りることが出来ない。
20分ほど待って会場入りする。LAWBLOWのお二方にお会いするも、なんと豪雨で中止!
そんな嘆いている自分と、記念撮影をしてくださった。
ONE☆STAR ハナさん STOCK 自分 $-LD
A氏のご厚意により、引き続き山田町へ向かうことに。役場の目前に、悪い意味で話題となった「御蔵(おぐら)の湯」があり、前でクルマを止める。この建物を見せようとされているのかな?と思ったが、実は入浴施設は関係なく、この高台に意味があった。
今回の津波でも、この高台に登って助かった人が多数みえる。過去には山田町役場もおかれていた「御蔵山」と呼ばれるこの高台、人工の盛土か、天然の丘なのかよくわからないが、周辺の平らな状況から人工物の可能性もありそうな感じがする。
1648年には存在していた御蔵山、もし人工物だったとすると、慶長の三陸地震で被害を受けたこの地で、コメは流されない高い所に保管すると考えた結果、生み出されたものと想像すると興味深い。
陸中山田駅に設置されていた時計
鎮魂と希望の鐘
大槌に引換し、ショッピングセンターのマストへ立ち寄る。建物内には「大槌町復興まちづくり情報プラザ」と呼ばれる一角があり、まちづくり懇談会の資料やイメージパース、模型などが置かれており、いつでも情報が入手できるようになっている。
大槌町の発行する資料は、どれも分かりやすく充実している。過去の分や他の地域分も容易に入手できるのは、大変優れた取組だと思う。
書店で、A氏が推す臼澤みさきのCDをプレゼントしていただいた。
最初に東日本大震災の被災地を案内してくださったのはA氏、また今回もこうやってさまざまな情報や知識を分けていただいた。先週のN先輩と言い、自分では集めきれない知識や情報をもたらしてもらえるのは、何物にも代えがたい幸せである。

そして大船渡へ戻り、七夕まつりの準備。SGのメンバーだけでなく、SGのOBやAllHandsVolunteerに関わっていた方など、たくさんの来訪者があった。
作業終了後、夜のBBQへ。しかし、残念ながら豪雨に見舞われ強制終了となってしまった...