2013年7月20日土曜日

#176 Crossover Minamisanriku Vol.2 -味わい-

久々に惰眠を貪ることに。おもむろに10時過ぎに起床し、もそもそと身の回りの整理などを行って出発する。気仙沼で太陽を拝むのは何日ぶりだろうか。Tシャツで出かけることに。

モーターズショップエビナで交換を終えた部品を回収し、45号線を南下する。地震で傾いてしまったトイレをジャッキアップしていた現場を覗きに行く。既に工事は完了しており、あとは周辺片付けだけになっていた。

そして、南三陸平成の森近くの路傍に、「波来(はらい)の地」と書かれた石碑が立っている。
この地点からは殆ど海を臨むことが出来ず、しかもかなり海抜が高い。その時起きた地震が、過去最大かどうか瞬時に判断することは出来ない。とにかく最大限高い所に逃げなければいけないと、改めて認識させられる。

なぜか北海道経由でこの地にたどりつく、2度目の来訪となるN先輩と合流するため、BRTの陸前戸倉駅に向かう。
自分が到着するや否や、BRTが到着。無事に合流を果たすことが出来た。

まずはオーイング菓子工房Ryoに向かう。自分の担当現場に近接しており、現状報告も含め、マドレーヌの買占めも行う。職場のみんなに味わってもらおう。
一部売り切れにしてしまった...
なかなか思うように事が運ばず、歯がゆい思いをするのは自分だけではない。事態の進展を待っている方がいることを考えると、とても辛く感じる。
手持ち無沙汰な監督員代行
引き続き、志津川の「さんさカフェ」に向かう。少し遅めの昼食となるが、N先輩はタコごはんカレーを、自分は普通のカレーを食べる。津にある桃栗亭を彷彿とさせる味わいが懐かしい。
タコごはんカレー
レジ裏の書架を眺めていると、カウンターに腰かけていた老婆から声を掛けられた。震災後の出来事や、豪雨による土砂災害で避難を強いられた仮設住宅での暮らしなど、いくつかお話をしてくださった。お勧めいただいた本を3冊買い求める。
こういったとき、だいたい「どこから来たの?」と聞かれる。「気仙沼です!」とまず答え、実は三重なんです!というのがセオリーになっている。

店の外から、志津川の街を眺める。まもなく、この付近も嵩上げ工事が行われることになる。さんさカフェのあたりも対象となると思われるが、これからも営業が続いていくことを期待する。
北上しがてら、南三陸町の沿岸部を走る。45号線沿いは舗装もしっかりしており、通常走行になんら支障はないが、一歩沿岸部の隘路に足を踏み入れると、舗装がはがれたままの状態になっている箇所が多数存在する。

N先輩からは、自分も知らない情報がたくさんもたらされるうえ、興味の向かう方向が似ている。防災部局時代からお世話になっているからか、はたまた興味が似通っているから長く付き合いがあるのか...

途中、JR気仙沼線の清水浜(しずはま)駅へ。相当の高さに設置された駅にもかかわらず、大きく変形した柵が津波の高さを如実に表している。
引き続き、45号線を北上しつつ、沿岸の隘路も走る。昭和三陸地震津波やチリ地震津波の資料などを分析し、再度訪問することにしたい。

そして、本吉へ。陸前小泉駅に立ってみる。流出した線路がそのままの状態で放置されている。
津谷川を眺めていると、軽トラックに乗った地元の老爺がやってきた。この風景がどう変わっていくのか、少し話をする。自分の部署の担当現場は周辺にないものの、新聞等で入手した情報を元に話をする。自分の方が少し詳しいこともあり、情報をあまねく伝えることの難しさを知る。
合流の時間に間に合わなくなってきたので、一路陸前高田へと向かう。気仙沼バイパスの渋滞につかまり、少しやきもきするが...

モビリアでNさんをピックアップ、しかし1号機は車内がとても狭いので、Nさんの愛車をお借りすることに。
このネコにピンときたら...
少し道に迷いながらも、米崎にある「ハイカラごはん職人工房」へ。垢抜けた店内に、今自分がどこにいるのか疑ってしまう。
いろいろな話題に花が咲く。今日は話をしすぎてしまったのか、少し喉が痛い。なんとなく閉店時間になりかけたので、一旦店を出る。そして、腹を満たそうと大船渡まで遠征する。
この時間だと、ラーメン屋さんくらいしか開いてなさそう。加茂神社下のラーメン専科に初めて入る。
コテコテラーメンとしそギョウザ
もう4ヶ月近く住んでいる気仙沼より、2ヶ月しか居なかった大船渡の方が落ち着くのはなぜだろう...至急、気仙沼で友達を作る必要がありそうだ。

そしてNさんを送り届け、45号線を南下する。途中、高田のストレートでありえない事態が発生するものの、むしろ運が良かったと割り切ることにした。