もろもろ段取りが付いたので、ダッシュで霞ヶ浦の緑地に向かう。道すがら元上司のT氏に出会う。金曜日にお会いできなかったので、とてもラッキーだった。
四日市のシンボルであり、市民なら誰もが知っている「オーストラリア記念館」が解体されると聞きつけ、現状が維持されている今のうちに撮影を敢行する。
大阪万博の際にパビリオンとして使用され、特徴的なつり屋根を持つこの建物は、閉幕後に四日市が譲り受け、長年展示会場などとして使用されていた。数えられるくらいしか訪問したことはないが、実家の近くの特徴的建築物が失われるのは寂しい限り。しかし、本来ならこのような建物は解体されるはず。それがこうやって40年以上生きながらえたことは奇跡かもしれない。
ちなみに、その格差に驚くかもしれないが、オペラハウスを要するシドニー港と四日市港は姉妹港。
急ぎ23号線で帰宅する。化学工場のあった場所に、いつの間にかショッピングセンターとホームセンターが出来ていた。そういえば、東員町にも超大型SCが出来たそう。自分が知らないうちに街がどんどん変化している。
昼食の味噌煮込みうどんを食べる。年賀状の印刷も無事終え、ミッション・コンプリート。
別れを惜しむ愛猫「みぬゆき」 |
名古屋駅で名古屋的なお土産を買い求める。三重は東海か関西かで議論になりがちだが、個人的には間違いなく東海地方。宮城でもそれを強調しており、今回はあえてベタベタの名古屋みやげを選択する。しかし、駅は人の波...
発車まで少し余裕があったので、ホームの立ち食いきしめんを食べる。味噌煮込みにきしめん、どちらも自分の大好物だ。
異常ともいえる本数のある東海道新幹線では、のぞみではなくひかりに乗っても、数分しか差がない場合がある。たばこの吸える700系ひかりは程よく空いていた。
写真はN700 |
久々のE2系 |
一ノ関で乗り換えとなる。暖かな場所からやってきた身だと、この寒さが堪える。列車のドアをボタンで開け、そしてボタンで閉める。これが北国のルール。
暖かな2両編成の気動車は、のんびりと東へと向かう。無言の車内が醸し出す雰囲気は、遠くへ旅に出かけたようだ。
気仙沼駅に到着。なんとなくホッとするのは気のせいか...
既に終バスが行った後なので、やむなくタクシーで帰宅する。初めて乗るBEXIには、車内に気仙沼を紹介するモニターが付いている。運転席の後ろに「100円クッキー」という案内が掲示されており、買い求めることに。
ベースキャンプで下してもらい、トランクを開けてもらおうと待っていたら、そのまま走り出してしまった。走り去る前にリアゲートをノックし、事なきを得た。
ポストに溜まりきった新聞を読む。大島の防潮堤に関して、不在中に少し動きがあったようだ。そして、東海新報の「こころの情景」コーナーを見て、改めて衝撃を受けた。求められて変わっていく街、変わりたくなくても変えられたしまった街...次に生まれ変わる街は、意図しない終わりを迎えない街になってほしいと願う。