2013年12月1日日曜日

#310 真剣-2日目-

師走最初の1日は、やや曇りの朝を迎える。少しグダグダしてから起床し、準備を整える。
昨日交換したタイヤを、気仙沼の母に預かっていただく。キャパシティの小さい寮に置けないので、無理をお願いしてしまった...多謝。

昨日と同様、T氏と港へ向かう。最近オープンした、渡辺謙氏が主催するK-portというカフェに向かう。自分の服装と店の雰囲気がミスマッチなのはやむを得ず。
店内はほぼ満席。おしゃれな若者だけでなく、年配の方々も。メニューはドリンクと世界のまぐろに関する漁港の名前が付いたピザ。近日中にカレーも提供される。今日は「ケセンヌマ」と名付けられたシンプルなピザを食べる。
店の一角に漁師カレンダーとK-portのキーホルダーが売っていたので買い求めることに。
入口には、「渡辺のひとこと」と書かれた掲示板が。謙さんが毎日メッセージをFAXで届けている。
メンバーと合流し、昨日と同じ時刻の便で大島へ。先行きを案ずるように、少し雲が垂れ込めてきた。
大島開発センターで、小田の浜に関する防潮堤意見交換会の準備、そして来場者を迎え入れ15時から開会。昨日と同様に、満室となるくらいの来場者に恵まれた。昨日と同じ方も多い。

こちらからの説明を終え、意見交換となる。昨日とは異なる空気が会場を支配している。厳しい意見が多数寄せられる。若手の来場者からの意見もあり、島の将来は明るいのではないかと期待する。そして、昨日も感心したが、参加されている方は自分の意見をきちんとメモに纏められている。島の人たちは、本気に、真剣にこのことを考えてくれている。S技術次長からマイクを向けられ、自分も少し話をする。田老のこと、太田名部のこと...自ら聞き取ったことを、真剣に答える。

会が終わり、地元の方と話をする。いろいろな思いを語っていただき、それに対し意見をする。こうやって話しかけてくれたことに感謝する。そして、さらに思いを知ることが出来た。
在京民放の記者氏と少し話をし、後片付けをして開発センターを後にする。フェリー乗り場には三陸新報のI記者がみえたので、少し立ち話をする。気仙沼の港町で行われている県、市、住民の取組について情報提供いただく。これから先のヒントが得られたような気がする。

17時半発のフェリーは、関係者や来場者、メディアの方が乗り合わせ、表現は良くないが「呉越同舟」という雰囲気だった。来場者の方何名かに少し声を掛けてみたり...

船内で自分の前に座っていた来場者の方に話しかけてみた。元大学教授で、現在はシンクタンクの代表を務められている。
政策決定やまちづくりにおいて、これからはボトムアップ型が望まれるし、その環境を作っていく必要があると力説される。成田空港のように、行政から一方的に押しつけてしまうと後世まで禍根を残してしまうと。こちらからは、四日市の都市改造マスタープランや吉浜の話をする。

ふと、二風谷ダムのことを思い出した。法律事務所に勤務していた亡父が「国が違法という判決がある」と教えてくれた。生きていればもっとくわしく聞くことも出来ただろうが、今はそれはかなわない。

下船後、最近客足が落ちたと聞いている「復幸マルシェ」にT氏と支援に向かう。塩田という定食屋で自分はなかおち丼、T氏は三色丼を注文する。
ご主人が1号機を見て「三重から来たの?」と話しかけられたので、第18共徳丸などの話をする。客足が減ったのは事実だが、ツアーバスの来客の話などいくつか伺った。仮設商店街の悩みに触れる。「今までここにあったものと、津波でここにきてしまったものとでは、思いも考え方も違う」という言葉が印象的だった。

帰宅後、三重のN先輩からみかんが届く。南伊勢町内瀬(ないぜ)で収穫された貴重なみかんだ。お世話になった方にも召し上がっていただきたいが、自分もいっぱい食べよう。
昨日からの出来事を振り返る。初対面の人と話し込んだり、事実を確認するために現地を訪問したりする自分は、他の職員と異なるアプローチをしていると感じた。「物おじしない」と小さいころから言われ続けた自分の性格によるものなのか、今までの経験からなのか、それとも自分と関わりを持つ人たちからの多大な影響なのか...。しかし、困難を切り開くのには役に立つのかもしれない。