特に来客や外出の予定もないので、粛々と内業を進めることに。いい加減、継続して取り組んでいる積算も決着をつけなければならない。
秋晴れの非ライブカメラA |
ふと、なぜ自分はこんなことを知っているのかと考える。大船渡市役所派遣時代に、税務課の協力を得てある資料を作成したことが役に立っていた。その手ほどきをしてくれたU課長補佐(当時係長)のことも思い出す。被災地にいる1年8か月。経験値はそれなりに高まったようだ。
そして、積算もいよいよ完成だっちゃ♪と思って積算システムを回してみると、残念な結果になってしまった。また資料の微修正が...
業務終了後、大島のO氏と懇親に出かける。今日は第二笑口会議所で開催となった。今日も気仙沼の深い話題で盛り上がる。
O氏は市内でもかなり大規模に事業を営む水産加工会社の経営者の一人を尊敬していると話す。この人物は、給料日に従業員一人一人に言葉をかけて渡すとのことだった。小さい企業なら可能なことを、比較的規模の大きな会社で行われているのは意外だった。当たり前というのは簡単だが、こういった思いやりのある人物が、気仙沼の未来のために表に出てきてほしいと願う。
O氏も思いやりに満ち溢れた人物なので、「気仙沼の未来を担ってけらい!」とケツをひっぱたく。
閑散とした店は、21時半に閉店となってしまった。金曜日なのに少し不安になる。
巡航船の時間までケーキセットなど食べながら喫茶マンボでねまることに。そして、エースポート跡からタクシーで帰還する。代行と値段がほとんど変わらないというのは、少し悲しかった。