コンビニでタバコを買い、ATMを操作すると思わぬ出来事に遭遇する。思いが通じたと、思わずうれしくなる。しかし、三重の先輩方に負担がかかってしまったのであれば、大変申し訳ない...
今日は外に出る予定がないので、内業を進める。小学生以来、夏休みの宿題はギリギリにしか進めないのが自分の性分だった。しかも、DNAに刻み込まれているのではないかと思うくらいに、その癖は治らない。しかし、今は少し前もって作業を進めている。
南三陸町役場の建設課から電話がある。戸倉のHという施工予定現場に流れる河川改修について打ち合わせをしたいとのことだった。
この現場は、防潮堤接続と隣接する漁港に関しては水産漁港部、近接する道路に関しては土木部、交差する町道は役場建設課、用地に関しては役場復興用地課、漁集事業と近接する施設整備では役場産業振興課と環境省東北地方環境事務所、漁港の艇庫は教育庁と、沢山のプレーヤーが関わっている。これらの利害関係者が同時に工事を進めることになりそう。
こういうケースを見ていると、復旧復興工事は地区やエリアで分けた「横串の組織」の方が効率的ではないかと常々思う。例えば、南三陸町ブロック(志津川Ⅰ地区担当)のように。平常時は縦割りが効率的だったりするが...
工事の進む非ライブカメラ |
業務終了後、市立図書館へ向かう。
今、気仙沼湾に浮かぶ大島への架橋工事が進んでおり、復興のシンボルとして位置づけられている。しかし、建設計画が持ち上がったのは昭和20年代。その後賛成や反対の論争が繰り広げられたが、最終的には建設が決定され、平成30年の開通を目指している。構想から足掛け60年。
大規模な公共事業には必ず賛否両方の意見が出る。もちろんそれが当たり前であり、自由に発言できる民主主義国家の良い所だろう。今の防潮堤の議論でも同じだと思う。反対の意見がクローズアップされがちだが、賛成の意見も多数存在する。
大島架橋の実現にあたって、どういったプロセスを踏んできたのかを知っておくことは何かの役に立つだろうと思い、「気仙沼大島架橋物語」という本を借りてきた。著者は市議会議員を長年務め、大島架橋の実現に多大な貢献をしているが、少し読んだ限りでは反対派の意見もきちんとまとめられており、良書と思われる。
大島には水上(みずかみ)姓が複数軒ある |
図書館には、田中前と呼ばれる気仙沼の繁華街の写真が飾られていた。今から40年前は田んぼが広がっていたのに、今や住宅密集地となっている。ここがもともとどんな場所だったのか知る人は少ないだろう。
夕食を摂ろうと、気仙沼横丁に向かう。心の中では福建楼だったが、まぐろ亭のマスターとバッタリ出会ってしまい、まぐろデーに変更する。
そういえば、FBで友人が「月がきれいだ」と書き込んでいたのを思い出し、コンビニで100円コーヒーを買い求めてから唐桑半島へ向かう。
45号線の旧道を走るも、車高の低い1号機からは思ったように景色が眺められない。途中で引き返し、只越へ向かう。明治、昭和、そして東日本大震災と津波のたびに破壊された悲しい集落だが、夜の闇がそれを隠してくれていた。
何気ない日常に、こうやって美しい光景を眺めることが出来る。熊野にいたときにも思ったが、何物にも代えがたい贅沢だと思う。