東海新報の一面、大船渡市の復興計画の連載コーナーには、市会議員の定員削減の話題に触れらえている。現在定数26のところ、来年4月の選挙では20になる。一気に25%近い削減である。大胆な改革を断行した背景には、将来の人口減にも対応していくため・・・との記述もあった。ちなみに、人口規模で近いいなべ市は20名、菰野町は18名。震災復興では様々な取組が市当局と議会の連携で行われている。
出勤すると、机上に写真が置かれていた。
津波記念石。赤白ポールの長さは2m。K係長からいただいた。 |
表面には、1933年(昭和8年)の地震で、200m先の海岸から流されたと書かれている。
ちなみにこの石、巨大すぎて動かすことも割ることも出来なかったようで、その後道路の下に埋もれていた。今回の津波で道路が流出して一部が露出したところを、地元の方が発見したらしい。
今日から、市議会の第4回定例会の一般質問が始まる。いつもはベージュの作業着の課長も、スーツをビシっと着こなしてみえる。また、災害査定で土木係は全員出払っており、閑散とした職場になっている。午前中は資料とりまとめを続行する。
ふと外に目をやると、シカが遊びに来ていた。ちなみに、カモシカが遊びに来る事務所もあるらしい。
3頭います |
そして、T副技監と仮置場の温度測定に向かう。仮置場を見ながら、T副技監は「きれいになりましたよね~」とつぶやく。10月から来ている私が見ても、目に見えて量が減っている。しかし、まだこれから選別作業を始める予定の仮置場もある。
すごいボリュームですが、かなり減りました |
三陸道が見える |
まだ時間がかかりそう |
危険を伴い、これから先も長く続く作業だが、同じがれき処理にかかわっている者としてなんとなく結束が生まれたような気がした。
帰り道、注意深く道路沿いを見ていたら、石柱が建っている。たぶん・・・と思い、降りて確認したら、やはり海嘯来襲地点標石だった、これは1933(昭和8年)のものだが、末崎には複数建てられており、1896年(明治29年)のものも存在する。しかし、かなり接近しないと文字を判読することは困難である。今回の津波は、過去の津波の到達地点を知らせてる、この標石をはるかに超えていた。
夕方のミーティングを終え、N補佐に文房具屋さんの場所をうかがう。サン・リアの2階にあるとのこと。他にも、三重発祥の大手流通業が大船渡にも進出かもという話を聞いた。新宮にこの社のショッピングセンターができた時、和歌山資本のスーパーしか選択肢のなかった地元の方々には、価格面で驚きだったらしい。
私の行きつけの店と同じものができるんだという喜びと、盛の商店街やマイヤ、サン・リアが・・・という悲しみのジレンマに陥った。競争は消費者にとって直接的な利益をもたらすが、地元資本が淘汰されることにより、別の面で不利益をもたらす可能性もある。
サン・リアの文房具店に行き、土日に使う予定のB2サイズのポスターフレームを探すが、こちらではなく本店にあるとのこと。道を挟んで斜向かい、目と鼻の先の本店に向かうが、あいにく品切れ。入荷予定を後日連絡いただくことに。ネットで買えば明日の夕方には届くかもしれないが、出来るだけ地元で購入したい。
晩御飯はこれまた近くの坂本食堂に向かう。前任者のY氏との引継の日に、昼食に訪れて以来である。前回のがしたドライカレーを注文する。
ボリューム感たっぷり |
開梱して、なんとなく種類別に分けてみる。美しい写真やイラストの描かれたものは月めくりと2月めくりに分類。その他、メモができる字が大きめのタイプ、ポスタータイプ、卓上カレンダーや手帳。
N先輩からは100近く発送したとの連絡もあり、明日も仕分け作業に勤しむことになりそう。うれしい悲鳴を高々と上げたい。
しかし、どうやらとても大事なものを、いずこかで落としてしまったようだ。部屋やスーツ、上着のポケットを探しても見つからない。クルマの中にもない。やむを得ずコンビニに電話すると、あった!
店に取りにうかがうと、どなたかが拾って届けてくださったそう。気仙の人の親切心に感謝!